未分類

発心

室町時代に活躍した雪舟(岡山県総社市生まれ)は、今年が没後500周年となる。

幼くして近所の宝福寺に入った雪舟が、お経を読まずに絵ばかりを好んで書くのをみて、僧が雪舟にお仕置きをした。仏堂にしばりつけてしまったのだ。床に落ちた自らの涙を足の親指につけ、床に鼠を描く若き雪舟。
それを見た僧が、今にも動き出しそうなほどイキイキとした鼠の見事さに感心し、彼に絵を描くことを許したという話は有名だ。

その雪舟といえば水墨画家として名高いが、実は禅僧である。
6点の国宝を含む多数の水墨作品を残しているが、禅にまつわる作品も多いのだ。
そのうちの一つに、斎年寺(愛知県常滑市)が所有する「恵可断臂図(えかだんぴず)」という国宝作品がある。

雪舟77才の時のこの画は、禅宗が始まる瞬間を切り取ったものと言えよう。

「恵可断臂図」
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/suibokuga/item06.html

「面壁九年」ということばがあるように、壁に向かって何年ものあいだ坐禅を組む菩提達磨(ぼだいだるま)と、彼に弟子入りを願う若き修行僧とのやりとりの場面である。

修行僧の名は神光(じんこう)。
40年間書物を読み、出家し修行をしてきたが真理にいたらない。悟りに達した師として名をとどろかせていた菩提達磨に日参して指導を求めるが返答すらしてくれない。

やがて冬になった。
雪中に立ちつくして教えを乞う神光に対し、ついに達磨が口をひらいた。

達磨:何を求めて雪中に立ち続けておるのか
神光:なにとぞ、なにとぞお願い申し上げます。この迷える者にどうか甘露の門を開きたまえ!
達磨:諸仏無上の真理の道を得たいのか
神光:はい!
達磨:それでは小智 小徳 軽心 慢心をもってしては勤苦を労するぞ。真理を得るには行じ難きを行じ、忍じ難きを忍じなければならぬ
神光:はい、・・・

次の瞬間、自らの決心を表すために神光がとった行動は。

自らの左腕の切断である。それを達磨に差し出しながら、「これが私の発心です」と神光。

「その心、今後も決して忘れるな」と弟子入りを許可した達磨。

この瞬間こそが、禅宗の開祖者達磨と第二祖、恵可(慧可とも書く)誕生の瞬間でもある。

法のためには身命さえかえりみない姿勢が禅の姿勢である。

身命をかえりみないといえば、

スポーツ紙によれば「死んだつもりでやる」と中田(英)選手が言っていたという。彼にしては珍しい表現だ。今回が最後になるかも知れない彼のW杯への姿勢だろう。

だが昨日の試合、果たして全員がそんな気持ちで戦っただろうか。気持ちだけでは勝てないのは承知しているが、気持ちが行動に表れていたかどうかは疑わしい。

子供が無心になってボールを追いかけるように、ひたすら勝ちたい、勝ち点がほしい、ゴールを奪いたい、シュートを打ちたい、ボールをキープしたい、という気持ちがあるようには思えなかった。

なにかの決心を確認するとき、雪舟の「恵可断臂図」(えかだんぴず)を思い起こしたいものだ。