クイズ番組を見ていると「自分だって優勝できそうだ」と思うときがある。実際に、「パネルクイズ アタック25」の東海地区予選への参加申込ハガキまで出したほどだ。
(出場案内状が届いたが、あいにく予選日が非凡会と重なったため欠場した)
ところで私たちは、世界中の全知識の何パーセント程度を知っているのだろうか?
「1パーセント?」、とんでもない、それだけ知っていたらノーベル賞を何個でも取れるだろう。
「0.1パーセント」、いやいや、それだけ知っていたらすごい賢人だ。クイズ番組のタイトル総ナメだろう。
賢人といえば・・・。
古代ギリシャの都市国家デルポイ(今はデルフィという)は、今、遺跡となって世界遺産に登録されている。古代ギリシアにおいてデルポイは世界のへそ(中心)と信じられ、ギリシア最古の神託所であるボイポス・アポロンの神殿の神託で有名であった。
デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じている。
ソクラテスの晩年、デルポイの神殿の祭司によってソクラテスこそが全世界で最高の賢人だという信託を受けた。
その信託に疑問をもった彼は、「そんなはずはない」と、当時、知者賢人とされた人々を訪ねてまわる。その結果、
・・・真の知者はおらず、ただ「知っていると思っている」人ばかりがいることを見出し、「知らないと思っている」点でのみ、わずかに自らがそれらの人々より賢いと思うに到った・・・
と『ソクラテスの弁明』などで述べているのだ。
デルポイの祭司は、
「彼は、自分は何も知らないことを知る地点にまで到達した故に、まさしく世界で最高の賢人である」と評価した。
知らないことが多いし、知っていることが陳腐化してしまうこともある。
私たちの世代が「足利尊氏の写真」と社会科の教科書で教えられたあの写真は、今の教科書では別人ということになっている。教科書だって変わるのだ。
知らないことは恥ではない。全然恥ずかしくない。
知っているつもりになって、学ぼうとしないことが恥なのだ。