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おやじさんとO社長

私の名古屋オフィスから徒歩30秒にある行きつけのそば屋が閉店した。おやじさんが最近痩せてきて、体調を心配していたところだが、後継者対策もままならないままシャッターが降ろされて一ヶ月、貼り紙もない。

うまいものを客に食わせて納得させるのが職人だ。このうどん屋の近所に同業のチェーン店が出来たときも、隣にラーメン屋が出来たときも、このお店は微動だにしなかった。それが職人の意地とワザだ。
完璧なおやじさんだったが、経営者としてはどうだったのだろう?

できるものならば、せっかく家業を手伝ってくれている息子に継がせたかったのではなかろうか。店内で言い争いをするほど親子仲は良くないようだったが、腹を割ってお店の今後について話し合ったことがあるのだろうか?

コンサルタントとして、客として、いや、おやじさんが作るたぬきそば、おかめとじうどん、カレーうどんのファンとして、もう食べられなくなるのがあまりに悔しい。大げさかもしれないが、人生の損失だ。

「機械設計の職人から経営のプロへ」

今から3年前、機械設計事務所のO設計のO社長が高らかにそう宣言した。
愛知県の大メーカーの機械設計室から独立し20年になる。当時、10名程度の社員を抱える設計事務所として高級車に乗ってゴルフ場に通えるほどにOはある程度成功していた。

しかし、Oはある日、悟る。
「このままじゃ、街の定食屋と同じで一代限りの成功じゃないか」

愛知中小企業家同友会の会員だったOは、武沢が主催する「経営指針講座」の門をたたいた。

武沢曰く、
・「1000万円以下の利益目標など、大の大人が掲げる目標じゃない」
・気宇壮大に顧客創造、市場創造、雇用創造の絵を描こう
・「身はたとへ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、とどめおかまし大和魂」
という吉田松陰の辞世の句があるように、あなたの身が朽ちても、残った人が引き継いでくれるような価値観や信条を作ってみよう。
それがあるかないかが個人商店と会社組織の違い。

などのメッセージが心に突き刺さったという。

Oは四ヶ月におよぶ「経営指針講座」に都合3回も通った。
武沢の元で経営指針を練り上げ、同時進行で求人を始めた。今まで中途採用一本だった求人を新卒学生採用にも切り替えていった。

Oの会社は変わり始めた。Oが社内にいなくても、組織として会社が回りだした。人が育ち、業績も急伸しだした。

「学校の偏差値エリートはどうぞ大きな会社に行ってください。うちの会社はそんなエリートは必要ありませんし、第一、来てくれないでしょう。それを嘆くのを私はやめました。むしろ、高卒OK、文化系OKです。うちはきっちりと考え方をすりあわせながら、技術もお教えしながらできる範囲のことを要求していく指導法なので、社員は自信を持ち始めてくれるし、入社時よりもだんだんと目が輝いてきてくれます。この三年間、社員は誰もやめていません」

と昨夜のO社長。

36名を数えるまでになったO設計のO社長(62才)は、3年前より今の方が若い。

冒頭のそば屋のおやじさんとOとは、さほど年齢が変わらない。

そば屋のおやじさんの元気が回復し、志さえ立てれば、彼もまだまだ現役の経営者としてやるべきことがたくさん残っているはずだ。

「身はたとへ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

「身はたとへ 尾張の野辺に朽ちぬとも 留め置かましこのうどん汁」