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坐禅

「一週間ほど山ごもりして坐禅三昧して来る」と友人に話したところ、「すごいねぇ」という言葉がかえってきた。
だがその裏には、「よく一週間も坐禅ができるねぇ」という尊敬と疑いともつかぬ念が込められていたように思えた。

坐禅の問題は、坐禅そのものの目的や効果よりもあの特有の姿勢の維持にあるようだ。

・私は、坐禅の足組みができない
・長時間同じ姿勢でいると疲れる
・足が痛い、ひざが悪い
・すぐに飽きてしまう
・雑念や煩悩ばかり頭に浮かんで集中できない
・すぐに眠くなる

などなど、最初はどうしても坐禅の型にとらわれがちなのだ。

一昨日号でご紹介した、広島県竹原市にある坐禅道場『少林窟道場』の第五世窟主・井上希道老師の指導法は、その点において大変ユニークだ。

足が痛くなれば伸ばして構わないし、片膝ついた坐禅もOK。もちろん、イスOK、立つOK、歩くOK。他人に迷惑さえかけなければ、NGはない。
大切なことは、姿勢ではなく全力で今のこの一瞬に気持ちを集中させること。そのためには、呼吸するだけの自分になりきることだ。よって、姿勢などなんでも良いということになる。

少林窟道場における坐禅の方法や考え方については、老師の著書『坐禅はこうするのだ』(地湧社)に詳しく述べられているが、坐禅入門時において正しい指導者につくことが極めて重要なようだ。
最初に我流でやってしまうと、坐禅は単なる時間つぶしの行為に終わり、いつまでたっても深い部分に踏み込めないことになるという。

『坐禅はこうするのだ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488503129X/

少林窟では、「初めて坐禅をやろうという人は一週間確保すべし」とい原則で指導にあたっている。

たしかに、私も最初の3日めや4日めまでは、雑念妄想ばかりが頭に浮かんでしようがなかった。仕事のことをはじめ、いろいろな考えが頭を去来し、時にはそれにしばらく取りつかれている時もあった。
さらには、他の修行者の様子や物音もけっこう気になるものだ。

だが、呼吸のひと息ひと息を明確に行い、それに意識を集中するよう指導され、真剣にそれを守る。しかも定期的に腰を左右にゆっくり捻る、という老師特有の指導法により、雑念が長時間頭の中に居座ることがなくなってゆく。

疲れがピークに達する5日目あたりから、不思議なことだが頭の中が空っぽになりはじめる。あたかも、脳が思考停止に陥ったように反応が鈍くなる。
そうなると、呼吸にだけ集中している自分がいる。周囲に修行者仲間がいたことすら忘れている。完全に没頭し、無我になっているのだ。

自分と呼吸が一体になることで、自分を捨てることが可能になる。
ドラッカーが「革新の鍵は捨てること」と語っているように、禅の悟りにおいても自分を捨てる、忘れることが大切なのだ。

さて、井上老師によるこうした坐禅の考え方とやり方を東京でも学べる時がある。
4月開催分は先週終了したばかりだが、東京坐禅会の年内日程は、

6月10日(土)、10月14日(土)、12月9日(土)となっている。

ご興味のある方には、ぜひお薦めしたい。

少林窟道場
http://www.geocities.jp/shorinkutu/