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聖と俗

たしかヨーロッパの企業だったか。
重役の一人がアダルトサイトにアクセスしていたことが発覚し、辞任に追いやられるという”事件”があった。
本人にしてみれば、ちょっとした息抜きのつもりなのだろうが、組織のリーダーが率先して禁止事項を破った代償はあまりに大きかった。

仕事中の息抜きが悪いのではない。「聖」と「俗」の混合が良くないということだろう。

「回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる」と語ったのは、かのピカソである。

日本では、空海が高野山を開くにあたり、「結界」を設定した。
結界とは、神聖な場所と世俗的な場所を厳しく区別する境界のことを言い、結界内には、修業の妨げになるような世俗的なものは一切が排除された。
空海は、高野山を取り囲む尾根道など二箇所に境界線を設けたのである。

古今東西、「聖」と「俗」を区分けすることの大切さが説かれている。それは、宗教や芸術だけの話ではないはず。ビジネスも同様ではなかろうか。

オフィスの中には、仕事に関係しないモノは持ち込まないこと。すべての私物はロッカーに預け入れるなどは当然のこと。
それよりももっと大きな問題は、パソコンの中味だろう。

仕事で使うパソコンにも、何らかの決まりが必要な時代になってきた。多くの企業では、すでに次のようなことが実行されているが、今後、こうした制約はますます必要になるであろう。

・ゲーム類のソフト削除
・インターネットサイトへのアクセス制限
・メール内容の監視(私用メールの禁止)
・・・etc.

パソコンは、ビジネスやコミュニケーションの生産性を上げるためのもの。ゲームマシンやDVDプレイヤーにも早変わりする存在だけに、正しい使用法を守らないと、かえって生産性を落とすツールになりかねないのだ。
会社としてパソコン使用に関する何らかのルールを作ることや、その管理・監査が必要だと思う。