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儒商

デジタル放送って想像以上にすごい。対応テレビを買おうかどうか迷っている方は、すぐに買いに行くべきだろう。
今年のお正月休みはテレビを変えたせいもあって沢山の番組を見た。

緊張で声が震える みのもんた 司会の紅白歌合。その裏番組で繰りひろげられた「プライド男祭り」や「K1プレミアム2005」での熱戦に次ぐ熱戦。歌でも格闘技でも、プロの真剣な勝負は見ているこちらにまで緊張が伝わってくる。

お正月ならではのスペシャル番組にも良質なものが多かったようだ。
イチロー自らが実名で登場し、人殺し役をつとめた『古畑任三郎』や、とんねるずの木梨憲武演じる相田みつお(書家)にも心打たれるものがあった。『国盗り物語』で、伊藤英明が演じた織田信長は少々役者が若すぎたが、でも断然、格好良かった。

そんな中、テレビ東京系列局で放映された『論語とそろばん~中国経済と儒教』も興味深かった。

「精神文化の建設」「道徳文化の建設」を大方針に掲げて10年になる中国。だが事態は、それとは逆の方向に進んでいるようだ。そこで、今までかたくなに遠ざけてきた儒教教育を復活させようという試みが各界で行われている様子を取り上げた番組だった。

学校で子ども達が論語の素読をしている様子や、儒教的考えにもとづいて会社を経営する経営者などが紹介されていた。
そうした経営者を中国では「儒商」(じゅしょう)という特別な呼び名でよんでいることなども紹介された。
山東省のハイアール本社や日本のしゃぼん玉石けん株式会社なども登場した。

紹介された会社の共通事項は、社長方針にそって社内研修のなかで儒教教育が行われていることだ。具体的には、孔子の教え「論語」や「大学」などの授業を社長みずからが先生になって社員に説いているのだ。

日本ではすでに明治時代から渋沢栄一翁が説いた「道徳精神合一説」つまり「論語と算盤」は両立すべきものであるという説が経営者の暗黙の了解だったはず。
金儲けは大事だ。利益がなければ会社は存続できなくなる。だが利益も金儲けも、儒教的倫理が守られた上でそれが許されるものである、という暗黙の合意があった。
まず倫理ありき、次に利益や金儲けだったはずだ。

だが最近は、金儲けや利益が優先する拝金主義の世の中。しかもゲームのルールは、倫理ではなく合法か違法かの法律判断。マスコミも出版も金儲けの勝者をもてはやす。
倫理や儒教に変わる基準として、”合法か違法か”という法的基準にまで経営者が堕してきたのか!だが、昔を思い出してほしい。金儲け以外に大事な精神的なものがあったはずだ、ということを伝えるのが番組制作スタッフの想いではなかろうか。

わずか55分の中では大変良くできた番組だと思うが、出来れば続編でもう少し突っ込んでほしいことがある。「儒商」つまり、聖人としての倫理を身につけ、倫理をもって経営や政治を行うということが具体的にはどういうことなのかに踏みこんでほしい。

立派な人間として、振る舞いも言葉づかいも正しい。だが堅苦しいまじめなだけの人間を作ることが教育の目的ではない。
酒もたばこもやらないし、何も悪いことをしないという消極的禁欲者を育成するのでなく、多少いたらない点もあるが、もっと大きな良いことを世間のためにするという「行動的禁欲者」を経営者のなかから多数輩出する必要があると思うのだ。

中国でも「調和ある社会」(胡錦涛国家主席)めざして精神教育が始まった。
日本でも教育や経済が力をあわせて新たな教育、政策、情報発信がますます盛んにならんことを切望したい。

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