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サヨウナラ、愛・地球博

1997年6月12日 、モナコで開催された第121回BIE総会において日本は2005年の国際博覧会開催権を獲得。この日が愛・地球博の正式スタートであった。反対運動を繰りひろげる人たちも交えて対話をくり返した。

そして2001年12月、基本計画発表。

「自然の叡智」を縦糸に、「地球大交流」を横糸に、幅広い参加と交流の博覧会。
その実現に向けて新たなスタートを切ったのだった。

それでも、「今どき博覧会に人が集まるのか?」、「”自然の叡智”などという抽象的なテーマで大丈夫か?」、「愛知の長久手や瀬戸に全国から集客できるのか?」などなど、開会前の疑念は数知れず。

だが、関係者の涙ぐましい努力によって圧倒的大成功で愛・地球博は昨日、幕を閉じた。
私は何もできなかったが、本当にありがとう、そしてごくろう様でしたと言いたい。

涼しくなった9月からは、連日20万人突破。
二日連続徹夜する人、8時間待ちのパビリオンなど、後半は完全に超過熱現象。
私も最終週の週末、、23日(金)と25日(日)に行ってきたが、朝5時半から開門行列に並んでも日立館やトヨタ館の当日予約が出来ないという異常な人出には正直いってウンザリもした。

だが、森へ帰るモリゾーとキッコロ、という閉会式の演出に号泣する子供達。その横で、笑って我が子をなだめる親の目も一緒に真っ赤になっていた。
来場者も含め、この万博に関わった人たちの心に大きな足跡を残す185日間のイベントであったことには違いない。
私も数えてみたら9回も訪問した。そして、たくさんの感動をもらった。

新聞各紙で発表された数字や記事をもとに、この愛・地球博をデータで返ってみたい。

・総入場者数 2,205万人(目標は1,500万人)
・参加国、国際機関 125
・入場者2,205万人は多いか、少ないか
  前回(2000年 ハノーバー博)1,810万人
  1970年 大阪万博 6,421万人
  1990年 大阪花博 2,312万人
  1985年 つくば科学博 1,810万人
・最高入場数 281,411人(9月18日)
・最低入場数  43,023人(開会の3月25日、予想の半分だった)
・黒字額 約100億円
・経済効果 1兆2822億円(共立総合研究所試算)
・万博終了後の反動 ホテルやデパートなどにあるものの「軽微」か
・満足度 計測不能
・ボランティア人数 3万人
・消防署出動、救急出動 ともに約1,000件
・全期間入場券売上げ 44万枚
・  〃   所有者平均来場回数 10回
 (2,205万人のうち、5分の一にあたる440万人はハードリピーター)
・来場者の地元比率は意外に低かった
  愛知県から43.8%
  愛知を含む東海北陸地方から60.6%
  (つくば博の関東比率74.5%、大阪花博の関西比率64.2%)
  関東地方から15.2%
  関西地方から12.4%
・だが、外国人来場者は予想を下回った
 目標入場者数1,500万人のうち10%にあたる150万人の来場を見込んでいたが、実績はその半分程度だった。
・台湾がトップ(外国人入場者のうち、多かった国は)
  台湾 18.8%
  韓国 15.7%
  米国 13.0%
  中国 11.0%
・警備対策
  会場の周囲9.7キロのセンサー付き警備フェンス
  入場ゲート60台の金属探知機
  約10台のエックス線探知機
  期間中、述べ10万人の警察官による空前の万博警備
・日々改善の博覧会でもあった?!
  迷子数 約500人(大阪花博の10分の1)空中回廊の構造が分かりやすかったのと、携帯電話の普及。
  熱中症 約200人(花博の5分の2)回廊の日陰やミスト噴射、無料給水所やいたる所での飲料販売

さあ、これで、3月以降続いた、名古屋の大混雑もおさまってヤレヤレでもある。次の中国にも期待したい。

<上海万博概要>

・開催期間:2010年5月1日~10月31日まで
・テーマ:より良い都市、より良い生活
・参加目標:200の国と地域、国際機関
・入場者目標:7,000万人
・会場:上海市中心部の黄浦江両岸にまたがる322ヘクタール

最後に、

「人を楽しませる、人の多さを円滑にさばく」というプロから見ると、愛・地球博にはこんな厳しい意見も。
次につなげるという意味で、貴重かつ大胆な意見であると思うのでご紹介しておきたい。
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