・・・最近一番ビックリしたのは、弟のセージが何も見ずに『約款』という漢字を書いているのを目撃したこと。で、その次にビックリしたのは、文脈から考えて奴がその『約款』を「どれい」という意味で使っていたこと。
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という書き出しで始まるゲッツ板谷の『板谷バカ三代』(角川文庫)は、とにかく楽しい。
家が焼けようが、じいさんが死のうが、自宅の風呂桶で鯉を飼おうが、とにかくこの家庭はなにがあっても異様にあかるい。
普通の人なら嘆きかなしみ、落ち込み、失意の底に沈むようなことですら、突き抜けて明るい。
ご本人たちいわく、「バカだから」となるが、ここまでバカに徹しきれるのはスゴイ。
この『板谷~』を知ったの齋藤孝著『上機嫌の作法』のなかでだ。
上機嫌でいることが道徳の第一位だとアランが言うように、いつも上機嫌で居続けることは相当むずかしい。むしろ私たちは、不機嫌でいることで自分を主張したり武装したりしがちなのだ。
だが不機嫌になる人は二流だと思って間違いない。
私の友人で不機嫌そうな人は一人もいない。もちろん人間だから喜怒哀楽の感情は表にだすが、ブスッとした感じで不機嫌にふるまう人はいない。
また、経営者としても、そういう社員の存在を認めてはならないと思う。
齋藤孝氏の本を読むまでもなく上機嫌でいることの必要性はあなたも理解しているはずだ。
だが、本当にそれができているだろうか?不機嫌ではない、というだけではダメだ。
まずは、今日一日だけでもかまわないので、上機嫌でいることを貫き通してみて、何が起きるかをみてみよう。