昔、中国に禅の指導者・倶胝(ぐてい)という人がいた。禅を説くとき、倶胝にはひとつのクセがあった。それは常に指を一本立てて話すことだった。その仕草が格好よかったのか、一人の若い弟子が真似するようになった。やがて倶胝の耳にもその噂が入った。
ある日、少年が真似をしているところを倶胝が通りかかった。少年をつかまえると倶胝は小刀を取りだし、その指を切ってほうり投げた。少年が泣きさけんで逃げ出すと、倶胝は「止まれ!」と叫んだ。
少年は立ち止まり、師をふり返った。倶胝は自分の指を立ててみせた。少年も真似しようとしたが、指がないことに気づき頭を垂れた。その瞬間、少年は悟りを得た。
倶胝は若いころ、悟りがひらけずに悶々(もんもん)としていた。ある日、天竜(てんりゅう)という名の老僧があらわれた。倶胝は切実な思いで尋ねた。「禅の根源的な一句は?」すると、天竜は一本の指を立てた。それを見た瞬間、倶胝は大悟した。それ以後、倶胝はいつも指を立てて禅を説いた。少年がその形だけにとらわれているのを見て、真理を悟らせるために指を切り落とした。
時は移り、倶胝は臨終の床にあった。弟子に囲まれ、最後の言葉を言った。「わたしは “天竜の一指頭の禅” を得て生涯これを使ったが、使い尽くせなかった」
これは禅の公案集「無門関」に出てくる話である。指を立てられて悟った師。指を切られて悟った弟子。求め続ければ、たかが指一本で真理を悟ることができると解釈してもよい。その反対に、指一本にとらわれていては永遠に気づくことはないであろうということかもしれない。
あなたの「指一本」は何だろう。