長州・松下村塾には毎年二回は訪問し、自らの志を正すことにしている。志というものは、何かになろうとするために作るものではなく、いかにあるべきかの基準を決めるために作るのが本来の目的だと思う。
吉田松陰が叔父・玉木文之進の嫡子、毅甫(きすけ)の元服に際して贈ったことばがある。このときの文章がのちの松下村塾の士規七則につながっている。
1.およそ生をこの世に受けて人となったからには、人が禽獣(きんじゅう)と異なるゆえんをしらなければならない。思うに人には五倫がある。そのうち君 臣、父子の道が最も大切である。だから人の人である真面目は、忠孝を根本とすることにある。
2.およそ皇国に生まれたからには、わが国が世界各国より尊いわけを知っていなければならない。思うに、皇室は万世一系であり、士や大夫は代々禄を受け 地位を継いでいる。
君主は人民を養い、祖業を継がれ、臣民は君主に忠義を尽くし、もって父の志を継いでいる。君民一体、忠孝一致、これはわが国だけの特色である。
3.士の道は、義より大切なものはない。義は勇気によって実行され、勇気は義によってますます発揮される。
4.士の行為は質実で自分の心を欺かないことが肝要である。いつわりに巧みであったり、あやまちを飾りごまかすことを恥とする。
心が明白で邪心なく、行ないが正しく堂々としているのは、みなここが出発点なのである。
5.人たる者で、古今の学問に通ぜず、聖賢を師とせず、自己の修業をおこたるようでは、心のいやしいままで終わってしまうだ けである。読書や賢人を友人とするのは君子のなすべきことである。
6.徳を厚くし才能を磨くには、師の恩や友人の益によるところが大きい。それゆえ君子は人との交際を慎重にする。
7.死してのちやむの四字(死而後己)は、言葉は簡単であるがその意味は広い。堅くたえ忍び、果断に実行し、断固として心を変えないのは、この死してのちやむの精神をほかにしては道がないのである。
何かになろうとする目標より、いかに生きるべきかを重視する姿勢は当然のことかも知れない。
なぜなら、もし士(さむらい)が何かになろうとする目標をもつとしたら、いつ下克上に世の中になるかわからない。
志とは士の心と書くごとく、立身栄達よりも、心を大切にすること。
日常のなかに義を元にした研ぎ澄ました生き方をすることが当時の士の志だったのだろう。
私たちもそうした部分を忘れずに持っていたい。