未分類

相馬野馬追

【今日のクイズ】

 「さて、この字は何と読むでしょう? 『相馬野馬追』 」
  
  <正解は本文にて>
 ——

士農工商という身分制度が明確な封建時代では、士(サムライ)の
行列の前を平民が横切れば、切りすて御免も許された。それは私情で切るのではなく、主君の名誉と秩序維持のためとされた。

そうした気分が平成のいまにも残っている祭りがある。
総大将の出陣行列の前を観光客が横切ったとして露払い役の騎馬武者がムチで警告し、なおも聞かない客に対して本当にムチで打ったという話がまことしやかに聞こえてくる祭りだ。それほどまでに、この祭りに参加する武者達は自分をサムライに仕立てていく。

それが昨日はじめて見物してきた相馬野馬追(そうま のまおい)なのだ。国の重要無形民俗文化財にも指定されており、パンフレットのうたい文句にこうある。

・・・
血湧き、肉躍る戦国争乱のドラマ
 甲冑に身をかためた五百余騎の騎馬武者が腰に太刀、背に旗差物をつけて野原を疾走する、力強く勇壮な戦国絵巻。
・・・

例年、7月下旬の三日間開催され、今年は7月23日(土)~25日(月)だ。
福島駅からバスで1時間強、原町市の雲雀ヶ原(ひばりがはら)に着く。
草競馬場のようなかたちをした祭場には、芝生の桟敷席が設けられおり、原町市の人口とほぼ等しい観光客が全国各地から集まるという。

私も東北非凡会の畔越さん夫妻のお世話になり、念願かなって桟敷から見学できた。

この祭りの由来は、相馬氏の先祖・平将門が行った軍事演習にさかのぼる。草原に野馬を放ち、それを敵兵に見立てて追ったことにちなんで野馬追(のまおい)という。相馬氏が明治維新までこの行事を連綿と伝えたことから「相馬野間追」(そうま のまおい)が全国ブランドの祭りに発展していった。
ちなみに、相馬の馬追(そうま の うまおい)だと思っていたが、正しくは「相馬野間追」(そうま のまおい)だ。

祭り二日目の昨日がクライマックスのようで、午前9時半から開始される「お行列」、正午からの「甲冑競馬」、午後1時からの「神旗争奪戦」の三部構成だ。
「お行列」とは、小川橋付近に集まった五百騎の騎馬隊が、雲雀ヶ原祭場までの約3Kmの道のりを行列するもの。当然一般道を閉鎖しての大行列で、狭い道の両側は観客の人だかり。馬の汗やいななき、浮き上がる血管、武将たちの紅潮した顔、夏草の臭いに混じって馬糞の香りも相当なものだ。

「甲冑競馬」(かっちゅうけいば)とは、甲冑と旗差物といういでたちで、一周1,050mの競馬場を一周強するレースのこと。落馬もめずらしくなく、救急車が待機している。
大変危険なレースだが、合戦場を疾走した若者達を見ているようで見物客の魂を鼓舞してやまない。1レースあたり10頭ほどの馬が10レース近く開催する。当然、着順によって褒美が違うらしい。

「神旗争奪戦」とは、天中高く打ち上げられた花火とともに、それに仕込まれた御神旗(ごしんき)がゆっくり舞い降りるのを奪い合うもの。騎馬武者が背負うものは、先祖伝来の旗差物だ。先祖と、郷の名誉を代表して神旗を奪うために馬を操って駆けめぐる様は勇壮そのものだ。

この祭りが行われる頃、福島県をはじめ東北地方はまだ梅雨明けしていない。だが、なぜか相馬野馬追は晴れる。今年もそうだった。

公式サイトで詳細をご覧いただき、私のブログでも何点か画像をアップした。

相馬野馬追公式サイト http://www4.ocn.ne.jp/~h-kanko/nomaoi.htm
ブログ http://www.blog.e-comon.co.jp/