未分類

夢と一対のもの

日本が勝った。主力選手を欠きながらドイツ行きを決めた瞬間、「たくましいヤツらだ」と尊敬の念すら湧いてきた。

好きなことだけをやっていたいと思うときがある。嫌なことはやりたくない。だがモームが指摘するように、逃げたくなるほど嫌なことの中にも良薬になるものがある。魂の成長のためにはむしろ嫌なことを率先してやるべきだ。

数年前、ブロードウェイでミュージカル「キャッツ」を観たとき、最前列で日の丸の扇子を動かしながら激しく号泣している自分がいた。

セリフはほとんど理解できないが、ここまで素晴らしい歌やダンスをマスターするまで、一体彼・彼女たちはどれだけ厳しい練習に耐え、自らを律してこのステージに立っているのか、と思うともうストーリーに関係なく涙が止まらなくなった。キャッツ達にも「変な日本人がいる」と思われたことだろう。

土俵の鬼といわれた初代・若乃花は、「稽古は苦しい。今すぐ効果があがるものでないから、なお苦しい。
その苦しい稽古を三年先に効果が出ると信じて、死ぬ気でやれ。土俵に金が埋まってるんだ。」と言っていた。

キャッツの猫たちも土俵の鬼も、サッカー日本代表も稽古に耐えた。
夢があるから厳しい稽古に耐えた。

陰と陽、光と陰、雄と雌、空と大地、正と負、臓と腑、これらが一対であるように、夢と稽古は一対のものだ。

夢があるから激しい稽古に耐えることができるし、激しい稽古に耐えた者は、おのずと技が成長するだけでなく、「自分が勝つのは当然」という勝者の魂が養われるのだ。