4月2日土曜日、花ぐもりの京都。前日に開花宣言があったとは言え、昼間でも肌寒く、サクラは一分咲きだろうか。
夕刻、非凡会のために集まった30数名が宴会用大広間で私の講演を聞いている。東京や山梨、名古屋、神戸・大阪からも集まってくれた。
心地よい緊張感を感じつつ話しをしていると、舞妓さんが登場した。
講演を中断し、私のほぼ横位置に正座していただいた。
私の講演後のメニューは、「舞妓さんとお勉強」と式次第にある。なにを勉強するのだろうか、と思いながらも私は講演を続けた。
真よこに舞妓さん、参加者の視線もそちらに集まりがちなので、私も気になる。
「皆さん、私の話は早めにきりあげて舞妓さんと盛りあがりましょう」と私。とは言え、皆さんが熱心に講演を聴いてくれるので、持ち時間いっぱいまで講演と質疑応答をつづけた。舞妓さんが入場してから約90分にもなる。
“この舞妓さん気の毒に。経営やビジネスの話しを正座したまま一時半も聞かされるなんて、きっとビックリしてるだろうなぁ。それにしても京都非凡会の幹事は運営が下手だなぁ、講演が終わってから呼べばいいのに・・”と内心で思っていた。ところが・・・。
この舞妓さんが「どっきりカメラ」的感動ショーの伏線になっていたとは。それを知らぬは、翌日に誕生日を迎える当の本人、武沢信行だけだったようだ。
私の講演終了後、司会にすすめられるままに舞妓さんとツーショットを撮ろうと横に座った。念のためにお名前を尋ねると、「森と申します」。
あれ、この声、この名前・・・。ようやくわかった。香港非凡会代表幹事の森可奈子さんなのだ。
舞妓さんになって私を祝うために、香港から駆けつけてくれたという。
「なに~、森さんだったの」と思わず抱きついてしまうほど、もうビックリとしか言いようがない。どうやら出席者はほぼ全員、この計画を知っていたようだ。
「人がワルイなぁ」などと言いながらも京都のみんなの粋な計らいに感動していると、進行役の橋長さんが、祝電を読み上げてくれた。
誕生日に祝電をいただくなんて・・・、と感動していたら、次にパソコンにつながれたプロジェクター画面から映像が流れ出した。
「武沢さん、お誕生日おめでとうございます。俺いまアラスカに来ているので京都に行けないけど・・・」と地球探検隊の中村隊長からメッセージ。アラスカへ旅立つ直前に収録したらしいメッセージだ。
さらには、北海道非凡塾の増澤さんやディズニーの香取さんと加賀屋さんからも祝福のメッセージが続く。ありがたい、本当に仲間ってうれしい。
いやあ、もうビックリの連続で言葉にならない。立ち上がってみんなにお礼を言おうとしたら、ふすまが開いた。
なんと、そこから登場したのは全国各地の非凡会の面々なのだ。私を驚かすために半日以上前から京都入りし、私と鉢合わせしないように綿密に打ち合わせしてこのタイミングを待ち受けていたのだ。
登場したのは、地球探検隊の中村隊長、北海道非凡塾の増澤さん、東京非凡塾の加賀屋さん、香取さん、錠さん、東北非凡会の松田さん(山形)にトラパンツの長谷川さん(秋田)、岡山非凡会の池本さん。
そして全員揃ってハッピーバースデーの合唱。
こんなに祝ってもらう誕生日って過去に記憶がない。いや、誕生日に限らず、これほどまでにびっくりする仕掛けを用意してもらった経験はない。
興奮状態の夜をすごし、翌日、有志約15名で京都太秦(うずまさ)へ。広隆寺の弥勒菩薩像(国宝第一号)をじっくり見学し、昨夜の余熱をさまして太秦映画村へ。
ここではなんと、感動ショーの第二幕・第三幕が待っていた。
映画村の中を歩いていたら、「きゃー、助けてぇ」と女官の格好をした女性が私の方へ逃げてくる。追いかけているのはバカ殿だ。
これも映画村の中で行われているアトラクションかショーの一つだろうと思い、私は女官の手をとり、バカ殿に向かって両手を広げて妨害しようとした。だが女官の顔を見た瞬間、ハッとした。見覚えのある顔なのだ。「仕事があるので、朝一番の新幹線で東京へ帰ります」と昨夜あいさつしていた宮本くみ子さんが女官なのだ。ということは、追いかけてくるバカ殿は・・・
やっぱりそうだ、バカ殿は加賀屋さんが扮している。おっと、その向こうから、新撰組の近藤勇局長が走ってきた。さらには、柳生十兵衛と鞍馬天狗がバトルを始めるではないか。
近藤勇役が中村隊長、柳生十兵衛が香取さん、鞍馬天狗はなんと神戸非凡会代表幹事の赤松さんなのだ。
他のお客はもちろんのこと、映画村で働くスタッフまで遠巻きに輪になり見学したこの寸劇は実によくできていた。ゆうべ遅くまで飲みながら祝ってくれた彼らが、この午前の寸劇をやるためにはまともに寝ていないはず。太秦の映画村にまで私を驚かすしかけがあったとは。
最後のとどめが太秦非凡会サミットだ。沖縄や薩摩、博多など遠方ゆえに参加していない地区があるが、9地区の非凡会幹事が集まってのランチなので、食後に緊急太秦サミット。「がんばれ社長!」や非凡会と出会ってどのような変化があったか、などを一人ずつスピーチし、決心のろうそくに火を点けて私の前まで持参してくれるという演出だ。
「がんばれ社長!」で人生が変わった、非凡会の仲間と出会ってこんな出来事があったというスピーチを22名全員がしてくれた。そして最後の最後には、自宅に電話取材したのだろう、私の家内から誕生日お祝いメッセージが届いた。それを朗読するのは、話し方のプロ、島田さんだ。
「あなた、51回目のお誕生日おめでとう。京都の人をはじめ、たくさんの人たちにお祝いしてもらって良かったですね。これからも、ますます忙しくなるみたいだけど、身体だけには気をつけてがんばって下さいね。私はただ一回だけ、北海道の非凡会に参加したことがあるけど、あなたは本当に照れくさそうに私を紹介してくれましたね。これからも・・・」
さあ、それを受けて私に何かを話せという。言うことは一つしかない。「がんばれ社長!」と「非凡会」は、私のライフワークとしてずっとやる、という決意と、このことを通して、みんなの会社や人生が良くなり、日本やアジア、それに世界が良くなることを願ってベストを尽くそうというお願いだった。
夢のような二日間を終え、帰宅してメールチェックしてみると、百通近い祝福メールが届いていた。
私の人生の宝ものは「がんばれ社長!」読者と非凡会の仲間だと心の奥底から思うのでした。