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童話と十牛図

人は神や仏になにを願うのだろう?

『アラジンと魔法のランプ』では、ランプを手に入れたアラジンがそれをこすると魔神があらわれ、なんでも願いを叶えてくれると言われた。アラジンは、母と貧しい暮らしをしていたので母のために食事をもとめた。すると見たことがないようなご馳走がテーブルに並び、母と幸せな食事をした。次の日には食べるものがなくなったので、食事が乗っていた金の皿を売って暮らした。やがてアラジンは大金持ちになり、皇帝の娘と結婚して幸せの絶頂をむかえる。しかし、悪い魔法使いがあらわれて妻と魔法のランプ、それにアラジンの宮殿すべてを奪ってしまう。それを取りもどす旅に出るアラジン…という物語。結論はハッピーエンドである。

『王様の耳はロバの耳』はギリシャ神話をモチーフにした童話だが、主人公のミダス王は、神を喜ばせた御礼としてなんでも一つ願いをかなえてやると言われた。

そこでミダス王は、「自分が触ると、どんな物でも黄金に変わる力が欲しい」とお願いした。願いは叶えられ、ミダス王が触るとどんな物も黄金に変わった。木の枝も、石も黄金に変わったので最初は大喜びした。しかし、食べ物も、飲み物も、娘までもが黄金になってしまった。ミダス王は空腹を満たすことも、のどを潤すことも、愛する人を抱きしめることもできなくなってしまった。困り果てたミダス王は、神のところに行って「黄金に変える力を取り消して欲しい」とお願いした。話を端折るが、
ついにミダス王の耳はロバの耳になってしまった。絶対誰にも言うな、とミダス王は口止めしたのに、髪切りの召使いがそれを言いふらしてしまう。ミダス王はその召使いを処刑しようとしたが、自分も神様から罪を許されていることを思いだし、召使いを許した。すると王様の耳は元にもどった。

この寓話はハッピーエンドと言うべきか、非常に暗示的な結末である。

人が何かの願いを欲してそれを手に入れたあと、どこへ行く(帰る)のかを表現しているのが禅の「十牛図」(じゅうぎゅうず)で、牛と牛飼いの牧人の物語を絵にしたもの。骨子は次のとおりである。

・第一図 尋牛(じんぎゅう)
ある日、飼っている牛の一頭が牛小屋から逃げ出たことに気づいた牧人は、野を歩き川を渡り山を越えてその牛を探し求 める。彼は牛探しという名の「自己究明」の旅に出た。真理が自分の外にあると錯覚している段階。

・第二図 見跡(けんせき)
「もう牛は見つからない」とあきらめていた牧人が、ふと前方に目をやると、そこに牛の足跡らしきものを発見した。  「あ、牛は向こうにいるぞ」と牧人は喜んでその足跡をたどって駆け寄る。努力すれば必ず真理は得られるはずだと確信 しはじめた段階。

・第三図 見牛(けんぎゅう)
牧人はとうとう探し求めている牛を発見した。牛は前方の岩の向こうに尻尾を出して隠れていた。牛が驚いて逃げ出さな いように、牧人は足を忍ばせて牛に近づいていく。部分的ながら本質をつかみ始めた段階。しかしまだ全体像はまったく 見えていない。

・第四図 得牛(とくぎゅう)
牛に近づいた牧人は持ってきた綱でついに牛を捕らえた。牧人は、再び逃げ出そうとする牛と渾身の力をふり絞って格闘 を始める。ついに捕まえたが、相手(真理)と自分とが格闘している段階。

・第五図 牧牛(ぼくぎゅう)
牧人は暴れる牛を綱と鞭とで徐々に手なづけていく。牛はとうとう牧人の根気に負けておとなしくなった。牛はもう二度 と暴れることも逃げ出すこともなくなった。暴れている牛がなんと自分自身であったことに気づく段階。

・第六図 騎牛帰家(きぎゅうきけ)
牧人はおとなしくなった牛に乗って家路につく。牛の堂々とした暖かい背中を感じつつ、楽しげに横笛を吹き、牛の表情 も穏やかである。真理と自分とが一体になり、心身一如、悟りの境地にいたった段階。

・第七図 忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)
とうとう牧人は自分の庵に帰り着いた。牛を牛小屋に入れて、ほっとした牧人は、庵の前でのんびりとうたた寝をする。
真理を悟っただけでなく、悟ったことすら忘れている段階。

・第八図 人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)
うたたねをしていた牧人が突然にいなくなった。あるのはただ空白だけ。牧人も牛も、風景すらも図に描かれていない。 我というものを忘れ、迷いも悟りも超越した完全忘我の段階。

・第九図 返本還源(へんぽんげんげん)
図のなかにふたたび自然の風景が戻った。しかし、牧人も牛も描かれていない。ありのままの自然すべてが悟っており、 自分も大宇宙の一部であることに気づく段階。

・第十図 入廛垂手(にってんすいしゅ)
牧人は再び人間の世界にもどってきた。人びとが行き交う町の中に入った彼は一人の迷える童に手を差し伸べている。牧 人はとうとう「他者救済」という新たな境地に至って歩みを始める。

さて「十牛図」のどこにあなたがいるだろう。