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喜怒哀楽の共有

冠婚葬祭センターを営むA社長との会話。

A:「武沢さん、ちょっと相談があるのですが・・」
武:「何でしょう」
A:「会社の方針や目標を社員に浸透させる方法がわからない。いろいろ手を尽くしているのですが、浸透していかない」
武:「もう少しお話しください」

A社長の悩みはこうだ。

・・・
私は決算期にあわせて方針書を作る。時には二~三日社長室に閉じこもって作ることもある。それを方針発表会で発表し、その後も社内報や社内ネットで反復して伝えていく。だが、新しく決めたことが実行されていくことはめったになく、去年と変わりばえしない今年になってしまう。
このことを目標の浸透というべきか、あるいは目標の共有というべきかはわからない。だが私としては、会社全体が目標めざして一体感をもって運営されていくような経営をしたいのだが、道のりはまだまだ遠い。
・・・

「どうしたら社長と社員とが目標を共有できるだろうか?」

社内文化とでも言うべきこうした経営課題をもっている会社は多い。
少なくとも上から下に伝達することだけを考えた、「上意下達(じょういかたつ)」の意識では共有という文化は生まれない。

「共有すべきものは目標だけではなく、その前に共有すべきものがある」というのが私の主張である。

目標の共有を考える前に、まず最初に「事実の共有」を計りたいものだ。

事実の共有なんて決算書や報告書を公表すればそれでオシマイ、などと思わないでほしい。
まずは出来事の共有、体験の共有、今おきているありのままの現実を共有し、そこから問題を共有したい。
これらをひとまとめにして「事実の共有」と呼ぼう。ネットやメールに頼るまえに、顔をつきあわせて表情やニュアンスまでも共有しよう。
報告だけの会議なんて無用だ、と会議を廃止する前に、フランクに事実を交換しあう場を作ろう。
雑談でも朝礼でも良いのでこうした事実の共有が普段からはかられていることがすべての始まりではないだろうか。


次に必要なのは「価値の共有」だろう。

すでに価値観や使命、ミッションなどが決まっている会社は、それをトコトン社員の意識に刷り込んでいこう。例えば、ジョンソン&ジョンソン社の「我が信条」のように、大切なものを順位づけしていくのも効果的だろう。

我が信条 http://www.jnj.co.jp/entrance/credo.html

また、価値観などが決まっていない会社では、社員との対話の中でそれを成文化していけば良い

次に「目的や目標の共有」だろう。

努力と奮闘のあかつきには、どのようなゴールが待ち受けているのか。
また、どのような面白いストーリーで自分たちの道を歩もうとしているのかを語り合おう。

最後に「結果の共有」だ。

ありのままの結果を飾らず厳粛に受け止め、良い結果の場合は勝利の美酒を、悪い結果の場合は苦い冷や水を飲み明かそう。
それがまた最初の「事実の共有」という新しいスタートラインに戻っていくのである。

1.事実の共有
2.価値の共有
3.目的・目標の共有
4.結果の共有
  ↓
また
1.事実の共有
  ・
  ・

このサイクルのくり返しを通して共有の文化が発展していくのだ。
最終的には、喜怒哀楽が共有できる仲間が社内に何人いるかが勝負ではないだろうか。