日記が流行っている。日記サイトや、ブログを使った個人日記の公開など、ネットワーカーにとって定期的に何らかの情報発信をすることが当然のようになってきた。情報発信という作業を通して、自らの可能性や適性をさぐる旅をしている人も多いようだ。
インターネットが普及する以前は、一人の作業として日記や日誌を付けてインナートリップ(内面旅行)をしてきたものだ。
やがてパソコンが普及し、その優れた検索機能に目をつけた一部の人たちがパソコン日記をつけ始めた。
野口悠紀雄教授が『超・整理法』の中で「電子業務日誌」なるものを紹介したのも、たしか今から数年前のことだ。
これは、毎日の出来事、会った人、約束事などをパソコンに残しておくと、検索機能を活用して、あとから非常に便利に使える個人用データベースができる、という効能だ。
いずれにしろ、パソコンを使うことによって日記は、貴重なデータベースになるという発想はその通りだと思う。
そこで、数年前、勇躍わたしもノートパソコンに日記を書き込んでいったことがある。2~3ヶ月も続いただろうか、結局やめてしまった。理由は簡単だ。
役に立たないのである。書いているときにはカタルシス(浄化・排泄)の効果があってドンドン書けるが、あとから読む気になれない。感傷的すぎたり、高ぶりすぎていたりする。
そんな中、今また日記の本が売れているという。
「日記の魔力―この習慣が人生を劇的に変える」(表三郎著、サンマーク出版)という本だ。
アイデアがビッシリ詰まった濃厚な本というよりは、どちらかというと、あっさりした淡泊な本である。しかし、それでも私は二回も続けて通読してしまった。その理由を考えてみると、たかが日記の本なんだから気負う必要もない、という潔さを感じるのだ。それでいて、著者みずから30年間もの長きにわたって日記を書き続けてきたという実績からくる、経験的な話しが参考になるのだ。
私たちが書くべき日記は、思春期の若者が人生や恋愛で悩んだときに書きつづるものとは訳がちがう。私は、それに気づかないで何度も日記に挑戦し、はね返されてきた。
後から読めない・使えない日記では意味がない。感想や思いは書かなくて良い。淡々と事実や出来事だけを書いていく。
つまり、自分用の業務日誌であり、一人日報なのだ。そうした大人の日記の書き方があることに気づかせてくれただけでこの本の価値がある。
「日記の魔力」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763196022/
そこで提案。
「社長日記」なるものを付けてみよう。「経営日記」でも「ビジネス日記」、「自分日記」、何でもよい。コンテンツは、仕事の記録だ。
約束したこと、会った人、読んだ本、起きた時間、寝た時間、食べたもの、飲んだもの、ちょっと感動したこと、立ち寄ったお店、今取組中のテーマ、ビジネスアイデア、部下に指示したこと、など多岐にわたるだろう。すべてのマスターデータがこの日記に記録される。その活用・応用方法は、やりながら自分で考えてみよう。