時々、寄席(よせ)に行って、漫才師や落語家、芸人たちのライブを観る。とくに好きなのは落語家の立川談春(たてかわだんしゅん)で、ちょうど今、『立川談春 30周年記念落語会 もとのその一』と題して日本を縦断している。一昨日の土曜日、私も満席(963席)の「名鉄ホール」で談春の独演落語を楽しんできた。
「もとのその一」とは、千利休の教え「稽古とは、一より習ひ十を知り、十よりかへる、もとのその一」より来ている。
その意味は、
稽古というのは、一から習いはじめて十まで習い、ふたたび、元の一に戻って習うことによって、これまでとはまったく違う気持ちで一から学ぶことができる。もうこれでよい、と思った人の進歩はそれを知らずに終わる。それでは極意をつかむことはできないのですよ、という教え。
談春も今年 48歳。18歳で落語界に飛びこんで 30年。彼の独演会は即日完売することが多く、最もチケットが取りにくい落
語家とも言われている。しかし若いころは、器用のあまり深夜テレビに出たり大好きな競艇番組に出たりした。その結果、芸が伸びず、真打ち昇進を弟弟子に先を越されるなど不遇をかこった。それが芸の肥やしになっているようだ。
私が談春を聞くのは三度目だが、独演会はこれが初めてだった。定刻の午後 3時きっかり、開演ブザーのあと出囃子(でばやし)が鳴ったのに、どんちょうが開かない。どうしたのだろう、と思ったその瞬間、女性アナウンサーの声が聞こえてきた。
「本日は立川談春 30周年記念落語会『もとのその一』にお運びいただきまして、まことにありがとうございます。開演に先立ちまして、イツワ電器代表取締役社長、坂東昌彦様よりご挨拶がございます」
その瞬間、場内がドッと湧いた。
私は何が面白いのか分からなかった。イツワ電気の坂東社長とは何者なのか?ひょっとして談春の後援会の会長なのか。だったとしたら、なぜこんなに場内が湧くのか?
場内が暗転し、中央出入口にスポットライトが当たった。観客の視線がそこに集まった瞬間、カーテンが開き、スーツ姿の坂東社長が現れた。それは談春だった。
そのとき初めて TBS ドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』(唐沢寿明主演)に談春が出ていたことを思いだした。そのドラマを一度も見なかった私だが、談春のトークを聞いていると、談春演じる坂東社長はドラマのなかでもっとも評判の悪い男だったらしい。目ヂカラと、ふてぶてしい態度でキャスティングされたそうだ。
このドラマでは野球の場面が何度かあり、その大半は愛知県の豊橋と豊川で撮られた。それもあってか、談春は登場するなり観客と握手してまわり、「普段はこんなキャラではないのですが、愛知県では評判が悪いから、これぐらいでちょうどいいのです」と笑わせていた。
ステージに立って約 30分、スーツ姿のまま漫談をした。ネタは、「ルーズヴェルト・ゲームの舞台裏」で、唐沢寿明がいかに天然で面白い人であるか、工藤公康投手の息子さんがいかに野球ができない人だったか、それでいて投げる玉がいかに剛速球でコントロールが良かったか、香川照之・坂東三津五郎という二人の歌舞伎役者の目ヂカラを目の前でみると、いかに迫力があったか、など、ドラマを一度も見ていない私でも大笑いさせられた。
着替えの間、一番弟子(女性)が落語をやった。その後、和服に着替えた談春が現れ、「唖の釣り(おしのつり)」と
いう比較的珍しい演目をやった。休憩が入り、次に演じたのは「らくだ」という大ネタ。師匠の談志ゆずりの「らくだ」は、話が佳境にさしかかってくると場内が水を打ったように静かになったり、ドッと湧いたりがくり返される。大人しかった道具屋が酒の力を借りて豹変し、悪党を会話で手玉にとっていくくだりは痛快そのもの。死んでしまった「らくだ」という悪党にどれだけひどい仕打ちをされたかを道具屋が語るくだりなど、聞いている私が気の毒になって涙が出そうになった。75分に及ぶ大ネタが終わると万雷の拍手がわき起こった。
どんちょうが降りて我に返り、時計をみたら 5時 45分だった。ほぼひとりで 1,000人近い聴衆をくぎづけにし、2時間 45分の舞台を取り仕切る談春の技量に感動した。
3,000円のチケットを 1,000枚売り切り、日本を縦断してまわる芸とはどういうものか、ベンチマークしておくのも悪くない。
★『立川談春 30周年記念落語会 もとのその一』
→ http://sunrisetokyo.com/dansyun/