「最近のヤツらはハングリーじゃない」となげく50代以上の経営者は、今後、相当頭を切り替えないといけない。
それに、「最近の若者はハングリー精神が乏しい」と思うのは、ひょっとしたら勘違いかもしれないというお話しをしたい。
まず、
経営者が、部下である従業員に対して無意識のうちに持ってしまいがちな「生殺与奪の権(せいさつよだつのけん)」。これがあなたの経営をじゃましている。
「生殺与奪の権」とは、生かすも殺すも思いのまま、与えることも奪うことも思いのまま、という意味だ。
例えば、
「給料がほしければ、ウラオモテなく働け」とか、「お前の昇給や降給を決めているのは、直属上司であるこの私だ」、というような意識である。
さすがにこの10年間、部下に向かってこうした生殺与奪の権をふりかざすような経営者や幹部はお見受けしなくなった。だが、潜在意識の深いところでそれが残っていると、簡単に部下にそれを見透かされる。
時代背景が大きく変わってきた。その一つに、知識社会の進行が上げられる。昔のように一次産業、二次産業が中心の場合、あるいは、初歩的な三次産業が中心の時代には、先輩が後輩より優位にたちやすく、仕事の発注者は受注者より優位であり、経営者は労働者より優位であった。なぜならば、“いくらでも替わりが効いた”からである。
だが、知識社会の進行は、高度な「知識労働者」人口の急増を招いてきた。そして彼・彼女たちは、簡単に替わりが効かない。スタッフ部門で働く知識エリートや、事務部門で働くホワイトカラーだけが「知識労働者」ではない。知識をベースにして働く労働者はすべて「知識労働者」なのである。
例として、
・高度なコンピュータプログロラムを使いこなしつつ操作する工作機械職人
・生産ラインで働く、高度な熟練技能やリーダーシップを必要とするボディ成型のスタッフ
などは、立派な「知識労働者」だ。
経営者がそうした「知識労働者」を取り扱うためには、ボランティア活動に従事するメンバーのように接するべきであって、従業員だと思ってはならないとドラッカーは指摘する。具体的には次の四点を充足せよと。
・組織への使命と目的と、その中での自分が果たすべき役割と職務内容が明確であること
・あげるべき成果がはっきりしていて目に見えること
・自主的に自己責任で処理できる部分が大きいこと
・組織運営と経営の方向性について、自分も十分な発言権を有していること
・・以上四項目、『ドラッカーが語るリーダーの心得』(青春出版社)
99ページより
「知識労働者」の組織には上下関係がなく、すべてが平等である。ピラミッド組織を上りつめようという権勢欲とか派閥の力学とか処世術にはまったく無関心である。それどころか、彼・彼女らは、権力志向や権威志向すらもちあわせていない。そうした面だけをみるならば、彼・彼女らはハングリー精神をもっていないかのようだ。
だが、彼・彼女たちは、別のことに関してどん欲であり、プライドを持っている。あるいは、持とうとしている。それは、優れた知識・技術レベルを保持することと、それを用いて何らかの成果を上げることに純粋な喜びを感じている。そういう面においては、実にハングリーなのだ。
従業員をモティベートする方法が変わってきた。リーダーシップの取り方も変わってきた。その前提になるお話しを申し上げたつもりだ。