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仕官を辞める日

「カムサミダ」のアナウンスが聞こえる。

今、私は中国の杭州市へ向かうコリアンエアーの機中でこれを書いています。今日はソウルを経由して杭州に入り、明日の帰路はソウルで一泊してから「札幌非凡会」に向かいます。それぞれの場所で楽しみな方々とのミーティングがセットしてあり、充実した時間を過ごしています。私の場合、旅に出るとテンションが上がるので、それを利用して仕事をしています。


仕事が固定化され、定型化されると徐々に情熱が失せていくのが私の特徴で、そのような方が少なくないはず。メールマガジンを毎日書くことさえ、知恵と工夫がなければマンネリになります。同じ場所で同じ時間に同じようなことを書くことは避けたいもの。
場所と時間と内容を思いっきり変え、新鮮味を損なわないようなメールマガジンであってこそ、書いている本人も楽しく、読者も楽しいと思います。そうした意味から、メルマガ作家は書斎の人ではなく、旅人もしくは冒険家、または根っからの企画マンが書くのがふさわしいでしょう。

企画マンといえば・・・。

某日某所。敏腕企画マンのT氏から電話があった。

「武沢さん、ちょっと相談したいことがある。今晩、何時も良いので時間を作ってくれ」という。なにか異変があったらしいことは声の調子ですぐにわかる。午後10時、T氏とレストランで合流。すでに彼は顔面蒼白だ。

「解雇されました。そのとき、ナゼだ?って大声で叫んでしまいました。一生懸命ボクが肩入れしてきた今の企画会社なのに、社長や常務以下全員が私の解雇動議に賛成したのです。ボクが一体何をしたというのです?ボクが売上げの大半を作ってきたのですよ。創業のメンバーであり、専務であり、株主なんですよ」

彼はさらに詳しい経緯を話そうとしたが、私はいったんさえぎって
「まずは食事をオーダーしようよ。飲み物はビールでいい?」
「いや、ウーロンハイで」
「OK。じゃ、ウーロンハイと生中、それに食べ物は・・・」

オーダーが終わると、私はTさんに申し上げた。

「おめでとう、Tさん。これでいよいよ独立だ。ようやく自分の城を作れる時がきたね。もう二度と仕官の道を考えるのはよそう。それがあなたの性分にあっているようだ」

そのときの、Tさんのきょとんとした表情を忘れることができない。きっと胸中では、「武沢さん、何いっているのだろう?」と怪訝に思ったのかも知れない。

今でもTさんとその企画会社との間にどのような確執があったかは知らない。知ろうとも思わない。だが、間違いなく言えることは、全員が解雇動議に応じるような会社にとどまっていても、Tさんとその会社の両方が不幸だということ。Tさんが全員を追い出せないのなら、Tさんが出て行くしかない。すでにその時点で、それはTさんの不徳の致すところだ。

仮に他のどんな職場や組織に行ったところで組織人としての適性が乏しいのかも知れない。Tさんの武器は、圧倒的なデザイン力と企画力、それに人脈構築力だ。Tさん一人の稼ぎで数人のスタッフは充分養えるのだ。何も不得手なサラリーマン重役を続ける意味などない。

あれから一年以上が経過した。

私がにらんだ通り、Tさんは今、全国区になって大活躍している。やがてこのメルマガでご紹介する日がくるに違いない。