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人材戦略

「我社はスポーツ用品販売の市場において、急成長戦略をとります。この戦略実現のカギを握るのは、人です。“圧倒的な人材力”です。どの同業他社よりも私たちは、人材の質・量の両面において凌駕できるよう、人材育成に力を注ぎます。具体的には・・・」

昭和53年秋、中途採用者求人説明会の席で、とうとうとビジョンを語るH社長を前にして、私は魂がふるえた。

「私にとってスポーツ用品販売はまったく未知の世界だが、この社長が率いる会社に身を投じてがんばれば、自分の未来も開けるにちがいない。この会社に入ろう」

私は決意した。それは正しかった。社長のビジョンは10年後、その通りになった。

売上高も店舗数も利益も10倍以上になった。斬新な戦略を成功させ、その業界におけるパイオニア企業として、株式公開一番乗り企業になるまでに一気に突き進んだのだ。それを支えたのは、人材育成力である。

商品知識を学ぶ「スポーツ大学」、教育投資対象者をえらぶトレーニー選抜試験、必要な職務経験や技能・知識をもとにした資格試験制度、幹部対象のハードな研修「中堅幹部講座」、役員も安閑としておられない「役員研修」など、完備された教育体系にもとづいて教育が施されていく。
ただでさえ夜遅くまで忙しくはたらく会社なのに、こうした教育研修が追い打ちをかける。

もともと、こうした教育体系が存在したのではない。昭和55年に教育専任職(私)を設け、人材育成システムに着手したおかげで、それが完成したのである。では、私は何をしたか。

昭和55年、初代教育専任職に就任した私自身が教育問題に関するズブの素人だった。だから、教育という問題をどのように考え、どのように仕事をしてよいのか皆目見当がつかない。そこで、社長に尋ねた。

「私は社員に何を教えれば良いのですか?」

すると意外にもこんな答えが返ってきた。

「武沢君が直接に社員を鍛える必要はない。あなたは教育を中心にした人事システムを作るのが仕事だ。急ぐ必要はない。当面は人材育成に関していろいろ研究し、情報を集めて勉強してほしい」

そう言われた私はさっそく本屋へ駆け込み、教育に関する本を20~30冊買ってきた。それを毎日読み、社長にレポートした。
それから一ヶ月後、『エデュケーター(教育専門職)養成講座』なる研修に参加した。

この講座で、講師は冒頭で我々にむかってこう尋ねた。
「皆さんは自分の役割をどのように理解しているか?」

当てられた人々はこんな回答をした。

・人を育てるのが自分の仕事です
・教育の仕組みを作るのが私の仕事です
・社員のやる気を刺激するような制度を作ることです
・優秀な人材を採用・育成することです
・・・etc.

「いずれも的はずれである。君たちの仕事は『首切り屋』である。ビジョンや理念の実現に努力しようとしない不勉強な人材を社内から一掃するのが君たちの仕事だ。つまり、不的確な社員の方が、『辞めさせて欲しい』と辞表をもってくるような、高い仕事の要求水準を作ることだ」エデュケーターとは、米国ではスペシャリストである。経営計画が要求する人材の質・量を企業に供給する数値責任請負者なのだ、ということを学んだ。

そうか、
・啓蒙
・教育
・処遇(賃金やポストに関するルール)
に関するシステムを新しく作っていく必要があるのだ、と気づいた。

まっさきに着手したのが社内報発行だ。親睦目的の社内報なんかいらない。戦略実現のための“社長の私設新聞”でなければならない。会社が何を考えているか、をくり返し語る。やる気があって、がんばっている社員に光をあてる、そんな社内報を毎月発行し始めた。

つぎに着手したのが研修体系図を作ることだ。そのためにやったことを来週ご紹介したい。

<来週につづく>