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ボストン・ニューヨーク記

まさかニューヨークで三日連続ミュージカルを観ることになろうとは・・・。
まさか、英語がほとんど出来ない私が帰りの飛行機で英語の本を読んでいるとは・・・。
旅行とは何がおこるか分からない。高一になる私の娘と二人でボストン・ニューヨークを旅し、先週土曜日に帰国した。

この寒い時期に、なぜあえてこんな寒いところを選んだのか。もちろん、この地が娘の希望でもあったのだが、私もハーバード大学やビジネススクール、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生を見てみたいと思っていた。できれば校舎に入って彼・彼女らと話してみたい。学校の雰囲気も見てみたいと願っていたのだ。

それは娘の刺激になるだけでなく、私の刺激にもなる。なぜなら、彼・彼女らが明日のビジネスや政治や化学などの一端をリードするであろうからだ。彼らこそ明日の日本の社長のライバルであり、味方でもあり、何らかの影響を与える人物だ。決して無視できる相手ではない。そんな世界レベルのエリートがどんな程度のものか、その教育環境とはどんなものかに、純粋な関心があった。

そうした旅の目的のご報告は、追々お話しするとして、今日明日の二日間、旅行雑記をおとどけしてみたいと思う。

2/8(日)
名古屋発デトロイト・メトロポリタン空港を経由し、ボストン着。待ち時間をあわせて16時間の大移動だ。デトロイトでは-12℃の気温を感じるためにあえて外に出てみたが、すぐに引き返した。とても居れるものではない。

ボストンには夕方到着。荷ほどきもせず、すぐに街を散策。手袋をしていないと手が痛くなる。行きの機内でメガネが壊れたため、まずはめがね屋でメガネを買う。メガネ選びをする際の私の英語力に娘がビックリしていたがこれくらい当然だ。

その後、クィンシーマーケットへ出かけ、オイスターとロブスター、それにボストンの定番ともいえるクラウムチャウダーを食す。ドリンクやチップを含んで二人で100ドルの割にはうまくなかった。(結局この食事がもっとも豪華なものになった)

日曜日の夜のせいか、静まりかえっているので午後8時にはホテルに戻り就寝。おかげで10時間ほど眠ることができた。

2/9(月)
午前6時起床。23階のホテル自室から見下ろすボストンの朝ぼらけが美しい。昨夜コンビニで買っておいたマフィンとコーヒーで朝食。このボストン・シェラトンホテルは、全室にブロードバンド環境があり、線をつなぐだけで日本とやりとりできた。24時間で9ドルと値段も妥当だ。その点、ニューヨーク・ヒルトンは34階あるフロアのうち、4フロアしかブロードバンド環境がない。事前に予約しておかなかった私は、結局ニューヨーク滞在の4日間、ネット孤児に近い状態だった。

さて、午前7時。ボストンシェラトンからMITまではタクシーで4ドル弱。あまりに近いせいなのか、最初のいやな感じの運転手に乗車拒否された。二人目のドライバーは機嫌よく行ってくれた。ボストンでもニューヨークでもかなり乗車拒否が多いが、態度が悪いドライバーにはチップをはずまないだけだから、仕返しができる。

ちなみにMIT訪問後、ハーバード大学への移動は更に近い距離なのだが、ブラジル人のドライバーがとても親切なので、あちこち回ってもらい、結局30ドルくらい使ってあげた。彼も私たちもとても幸せだった。それがWIN-WINの関係というものだろう。

さらに蛇足ながら、ニューヨークでは、タクシーの運転手の収入を聞いた。これが予想外に多く、ビックリした。彼は週に三日勤務し、一日6時間労働で月収3500ドル(40万円近く)になるという。名古屋の二倍ある。「good business」と私が言うと、「悪くはないが、リスキーだ」という返事が返ってきた。リスキーの意味が治安面をさすのか、生活の安定面を指すのかは分からないが、週の半分稼働でその収入は悪くない。

さて、MITにやってきた。後から見たハーバードほどキャンパスは広くないが、校舎にはノーチェックで入れる。映画でよくみる学校内の雰囲気と同じで、朝の授業を受けるために学生たちがあわただしく行き交う。私たちあやしげな親子が、廊下で記念写真を撮りあっているのをとがめる者は誰もいない。

つづいてハーバードビジネススクールとハーバード大学キャンパスへ向かった。雑誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)の論文もこのスクールの教授陣が執筆しているのかと思うと感慨深い。ハーバードの学生と会話することは断念したが、彼らの会話ぶりを横で何気なく聞くことはできた。

いけない、こんな感じで書いていては日が暮れる。

明日は、旅行中に感じたエリートについて、ミュージカルについて、芸術について、などを述べてみたい。

<明日につづく>