「ヒトトヨウ?ボーア?エグザイル?なにあれ、音楽じゃない。ちっともいいとは思わない。やっぱり紅白といえば、サブちゃんに石川さゆりでしょ」
大晦日の紅白歌合戦をみながら、弟が今の流行歌手をみてなげいている。せっかくの実家での団らん、私が食ってかかる場面でもないので聞き流したが、そのようなオジサンっぽい精神では会社経営はうまくいかない。新しい文化を理解しようとする気持ちの有無が大切なのだ。
先週、二回にわたってお届けした岡本太郎氏の情熱的芸術論。顧客と時代を創造していく立場の企業経営者と相通じる精神が芸術の世界にあるはず。三回目となるこの稿も、今日でもって、ひとまず区切りとしたい。
さっそく岡本氏の言葉。
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芸術はつねに新しく創造されねばならない。けっして模倣であってはならないことは言うまでもありません。他人のつくったものはもちろん、自分自身がすでにつくりあげたものを、ふたたびくりかえすということさえも芸術の本質ではないのです。このように独自の先端的課題をつくりあげ、前進していく芸術家は、アヴァンギャルド(前衛)です。これにたいして、それを上手にこなして、より容易な型とし、一般によろこばれるのはモダニズム(近代主義)です。
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変化に対応しよう、変化に追いつこうとして、誰かの後追いをしていては、いつまでたっても変化の先に行くことはできない。ビジネスにおいては、アヴァンギャルド(前衛)よりもモダニズム(近代主義)の方に商売のうまみがあるかもしれない。他社がテストマーケティングで成功したものを我社が上手にアレンジし完成度を高めて発売すれば利益はでる。だが、企業家としての精神をもモダニズムに堕落させてはならない。“日本一”という冠ではなく、“日本初”とよべる何かを創造しようではないか。
「がんばれ社長!」はアヴァンギャルドであり続けたいと願っている。誰かのまねや後追いではなく、突き上げる衝動を大切にして戦略を決めている。平たくいえばもっとも熱中できる仕事のスタイルを創造しているつもりだが、そこに行くには手順が必要だ。
アヴァンギャルドであるためには、守・破・離というプロセスを踏む。一定期間は「守」の期間として基礎を学び、遠慮なく誰かの模倣をする。つぎの「破」の期間で自分らしさ、つまり個性を出す。最後の「離」の期間で、世界初・日本初を創造するのだ。
「守」から「離」にいたるプロセスが速いか遅いかの勝負だ。勉強するということは、「離」のためであって、「守」のためだけに勉強するのではない。
さらに岡本氏の言葉。
・・・ゆきづまりが大切だ。ほんとうにゆきづまっていればこそ、苦しんだあげく、あたらしい試みが出るのです。まことに芸術はいつでもゆきづまっている。ゆきづまっているからこそ、ひらける。そして逆に、ひらけたと思うときにまたゆきづまっているのです。そういう危機に芸術の表現がある。
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経営にも人生にもゆきづまりが大切のようだ。このままでは経営が立ちゆかなくなるというような危機感や、このままでは自分の人生はダメになる、という焦燥感を逆手に利用したい。
「今は毎日が本当に楽しくてしようがない、私は幸せ者だ」という言葉しか出せない経営者に大した仕事は期待できないのだ。小成に安んずることなく、アヴァンギャルドであるために、ゆきづまりをも生み出していく気概が大切なのだ。
すると、ゆきづまりという問題は、問題ではなく、日常の一部分となるはずだ。いつも何かにゆきづまっている。だがそれは、後手にまわったゆきづまりではなく、先手を打った結果ゆえのゆきづまりであるべきだ。
最後に、私の弟にとって耳の痛い話を。
・・・ある討論会で、「ピカソとか新しい絵なんか見ても、わけがわからない。ちっとも良いと思わないが、浪花節ならピンとくるし、心から打たれる」と、ある人が言っていました。おそらく正直な感想でしょう。こういう考えの人が多いのです。しかし、これは人間を低さや弱みに妥協させ、甘えさせるもので、およそ精神を高めるものではありません。
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浪花節が好きだという他人の好みをとやかく言うことはできないが、ものごとを限定的に考えてしまい、それ以外のものは本能的に排除する精神は批判されてしかるべきだ。
弟よ、老けこむのは早い!