連戦連敗しながら、世界の建築コンペ案件に挑む安藤忠雄氏の様子は、氏の著書『連戦連敗』のなかで次のように述べられている。
「世界中の建築家から約30人に声がかけられ、書類選考で6人程度にまで絞り込まれた。コンペティターについて正式な発表はされていないが、どうやらレンゾ・ピアス、スティーヴン・ホール、・・・といった連中が参加しているらしい。」
どうやら世界的な建築プロジェクトのコンペとは、まず、お呼びがかかるだけでも大変な名誉のようだ。
「最近の私の仕事はコンペを軸に回っている感がある。ほかにも、フランク・ゲーリー、リチャード・マイヤー、ノーマン・フォスター、ピーター・アイゼンマン、レム・コールハースなどを加えた顔ぶれと、あちこちのコンペでいつも競い合っている。彼らとはほぼ同じ世代であり、個人的な付き合いもあるし、互いに互いを知り尽くしているところがあるから、否応なしに彼らを意識して戦略を立てることになる。コンペを通じて同時代の建築家たちと対話をしているわけである。」
世界レベルになると、コンペティターの顔ぶれもおなじみになるようだ。
こうした案件でのコンペ参加は、建築家の名誉とは言っても実際に一等賞をとらない限り受注には結びつかない。もし負け続けていれば、使い果たす知力・体力・精神力、それに支出経費は並大抵のものではないはずだ。まさしくギリギリの状態に違いない。
「ギリギリの緊張状態の中にあってこそ、創造する力は発揮される。条件の整った仕事よりも、かえってコスト的・条件的に苦しいときの方が、意外によい建築が生まれることが多い。」
アメリカの建築家、ルイス・カーンの名言「創造とは、逆境の中でこそ見出されるもの」とみごと符合する話しではないか。建築において“創造する”とはいかなることかを次のように氏は解き明かす。
「コンペの要綱を熟読し、その背景にある諸事情にまで想像を及ばせながら、その条件をかいくぐって実現し得る建物の可能性を探る。ときには、与えられたプログラムや既成の枠組みまでをも組み立て直し、私達が新しいと考える建築を提案することすらある。そこから生まれるのは、私達の建築の、いわばマニフェストである。」
ロマンに満ちた文章ではないか。
マニフェストとは、「宣言、宣言書」と訳すが、毎回のコンペ案件に挑みながら自分たちのマニフェストを造っているのだと氏は語っているのだ。この稿のしめくくりにふさわしい次の文章で『連戦連敗』シリーズを終えたい。
「コンペを通じて、自らの建築への姿勢を問い直し、その意志を確かめる。そのような思考の時間をもつことができることが、コンペに参加する意義といって過言ではない。
(中略)
コンペで勝てなくてもアイディアは残る。実際、コンペのときに発見した新たなコンセプトが、その後に別なかたちで立ち上がることもある。そもそも、実現する当てもないプロジェクトを常日ごろから抱え、スタディをくり返し、自分なりの建築を日々模索していくのが建築家だろう。だから、連戦連敗でも懲りずに、幾度でもコンペに挑戦し続ける。建築家の資質として必要なのは、何をおいてもまず心身ともに頑強であること、これだけは間違いない。」