アカデミー賞を総なめにした1972年の映画『ゴッドファーザー』は、フランシス・コッポラ監督の代表作でもある。この作品を撮った時のコッポラはまだ32歳で、彼は制作中に何度も何度もクビになりかけていたそうだ。制作と配給を担当するパラマウントピクチャーからだけでなく、現場の制作スタッフからも「なぜ彼が監督なの」と言われる始末。
そもそもこの作品の映画化が決まったときは制作予算250万ドルという低予算の映画だった。若いコッポラを監督に起用した理由のひとつも予算の安さである。また、彼が若いからスタジオの言うことを聞くだろうという思惑もあった。しかし撮影が進むにつれて原作がベストセラーになり予算も650万ドルに増えた。それと同時に「コッポラじゃ無理だ」という空気が強くなった。
当時をふり返り、コッポラ自身がこんなことを言っている。
「撮影の間、ずっと大学生のガキみたいな扱いを受け疎外感をもっていたよ。そのため俳優たちと一緒にいることが多かった」
ある日、こんなことがあったそうだ。
コッポラが現場のトイレにこもっていると、二人のスタッフの話し声が聞こえてきた。
“監督をどう思う?”
”彼は何も分かっていない。マヌケだよ”
コッポラは恥ずかしくて足を隠したくなった。(アメリカのトイレは個室でも足の部分が外から見えるため)
コッポラの映画は批評家の間では評価されていた。しかし興行的に成功をおさめていなかったので、スタッフからは認められていなかったのだ。
「どうしてそんなカメラアングルで撮るの」「どうしてあんな俳優を起用するの」「なぜそんな音楽にするの」という具合だ。
コッポラは撮影の間、ずっと悲しかったという。
コッポラいわく、”ゴッドファーザーは悪夢の映画”だった。
制作の合間に封切りされて観にいった『フレンチコネクション』(1971年)の面白さに圧倒された。
『ゴッドファーザー』は男たちが机の前で話し合っているシーンが目立つ。それにひきかえ『フレンチコネクション』は、派手なアクションシーンが多く、観ていて楽しい。本当にこんな作品でいいのだろうかとコッポラはますます不安になった。
ところが、映画が完成し、封切りと同時に『ゴッドファーザー』の映画館には人が押しよせた。遂には当時の興業記録を塗りかえた。そして、その年のアカデミー賞の作品賞、主演男優賞、脚本賞を総なめにしてしまった。それどころか、2年後の「パート2」でもアカデミー作品賞など各賞を総なめにする。シリーズ物がともにアカデミー作品賞になっのは後にも先にもこの作品だけである。
余談ながら『パート3』(1990年)もアカデミーの作品賞の最終候補にノミネートされたが、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』に取られている。
コッポラ曰く、
「『ゴッドファーザー』がこんなに成功し、ましてや名作と称されるなんて思いもよらなかった」
『ゴッドファーザー』を撮り終わった直後でもコッポラにはお金がなく、他の作品(華麗なるギャツビー)の脚本を書いて収入の足しにし
ていたという。1979年には『地獄の黙示録』を世界でヒットさせ、コッポラは映画界の巨匠となるが、『ワン・フロム・ザ・ハート』などの興行が失敗。ついには、1980年代以降三度の破産を経験する羽目になる。
人生は奇なるものである。
破産で失意の中、コッポラの映画作品の博物館を兼ねたワイナリーを始めるとそれが盛況。後に、本格的なワイナリー経営に進出し、1985年に発売したヴィンテージワインの『ルビコン』は世界的な評価を受けた。そして今、コッポラは、このワインビジネスで多大な利益を得てアメリカでも屈指の富豪となった。
今年75歳になったコッポラ。メガホンを取ることがめっきり少なくなったが、ワインに関する映画でも撮ってくれないだろうか。
最後に、コッポラ作品の制作費と興業収入のデータをウィキペディアより引用しておこう。
(※興業収入は米国内のものだけ)
◇ゴッドファーザー(1972年、当時1ドル301円)
製作費: $6,000,000(18億600万円)
興行収入:$245,066,411(737億7,000万円)
収支:+719億6,400万円
◇ゴッドファーザー・パート2(1974年、当時1ドル300円)
制作費: $13,000,000(39億円)
興業収入:$47,542,841(142億6,000万円)
収支:+103億6,000万円
◇ゴッドファーザー・パート3(1990年、当時1ドル150円)
制作費:$54,000,000 (81億円)
興行収入:$136,766,062(205億1,000万円)
収支:+124億1,000万円
◇ワン・フロム・ザ・ハート(1982年、当時1ドル242円)
製作費:$26,000,000(63億円)
興行収入:$636,796(1億5,400万円)
収支:-61億4,600万円