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恐怖は幻想

●「そんな大きな投資をウチにさせて、キミはもし、うちの社員やその家族を路頭に迷わせる結果になった時、どう責任をとるつもりだ。」

コンサルタントとして駆け出しの10年ほど前、ある顧問先社長に言われたのだ。この投資案件を持ち込んだのは私ではなく、社長自身だ。その会社の経営会議の議題として社長が提出した投資案件に対し、私は賛成。社長の奥さん(専務)と長男(常務)は反対の立場だった。

●血気盛んな私は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言ったところ、冒頭の発言が返ってきたのだ。そこまで言われてまでも、私は投資をしろ、と言う勇気がなく、結局私は押しだまった。そして、この投資案件はお蔵入りした。今この会社がどうなっているか没交渉ゆえわからない。

●しかし、この時社長が言った“路頭に迷う”とはどういう意味なのか、あれ以来ずっと頭にこびりついている。広辞苑によれば、「生活の手段を失って困窮する」とあるが、今の日本の福祉制度のなかで、本当の意味で路頭に迷い、困り果てている人が一体どれだけいるのか、と思うのだ。保護すべき社会的弱者の方がいるのは認めるが、働き盛りの社員が会社の倒産の余波でいつまでも路頭に迷うことなどあり得ないと思っている。

●従って企業経営者は、社員を路頭に迷わす心配などする必要がない。むしろそれを口実に何も挑戦しないことの害の方が大きさを認めるべきだと思う。

●私の二つめの勤務先が数年前に破綻したが、放り出された社員数百人は今、みんな元気に新天地で活躍している。心配はいらないのだ。むしろ、挑戦意欲を失った企業の中で夢もなく働いていることのほうが精神的に“路頭に迷っている”状態に近いとも言える。


●昨日の大阪講演六問六答を見て、東京のEさんがマイケルジョーダンの談話をメールして下さった。「恐怖心は幻想だ」と題したこの談話、経営やビジネスにも当てはまる。

経営は成功するためにやっているのではない。ましてや失敗を回避するためにやっているのでもない。挑戦するためにやっているのだ、ということを思い出させてくれるはずだ。


●以下、ジョーダンの談話。

・・・

大事なシュートを失敗しても、僕はその原因を考えたことは一度もない。失敗した原因をあれこれ考えると、必ず否定的な結果を考えるようになってしまうからだ。 人生で何かを達成したいと思う時は、積極的かつ、攻撃的にならなければならない。目標を決め、それに向かってひたすら努力するだけだ。受身の姿勢では絶対に達成することはできない。何かに挑戦する時、僕はそれを達成すること以外、何も考えないことにしている。スポーツにおいては、恐怖心は時に、集中力の欠如から生まれる。例えば、フリースローの時、カメラの向こうで多くの人が僕を見ていると考えると、絶対にシュートを成功することはできない。だから、こんな時自分の中にイメージを描くことにしている。試合でも、何千回と練習してきた方法やテクニックでシュートする。結果は考えない。そうすれば、リラックスしてシュートを放てるからだ。

 僕は失敗を受け入れることができる。誰にでも失敗することがあるからだ。しかし、僕は挑戦することをあきらめることは、絶対にできない。だからこそ、僕はチャレンジすることにも恐怖を感じたりしない。「成功できないかもしれないから、挑戦することはできない」なんて、絶対に言うことはない。成功できるかどうかなんて、僕にはどうでもいいことだ。情熱の全てを注ぎ、110パーセントの努力をしている限り、結果はどうでもいい。恐怖心は幻想だ!