文中、敬称略。
小説『アジアの小太陽』の主人公・松浪 悟(71)が一時帰国した。さっそくお目にかかった次第だが、以下は松浪語録である。
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香港で貿易の仕事をしていると、いろんな国のエリートサラリーマンと接触する機会が多い。彼らはみるからに優秀そうだし、ま、実際に仕事は優秀である。だが、そんな彼らも裸になってつきあってみると人生の問題や悩みを抱えていることが多い。エリートだからって問題がないわけではなく、むしろ凡人より問題が多いのではないか。
学校や仕事ではエリートだとしても、人生で初めて直面する問題(たとえば親子の人間関係の問題)には正解がないわけだし、問題集を事前に解くこともできない。ましてや、答え合わせなんてできない。
従って、誰もが自分自身の人生の問題を前にして無力感を感じたり、自分の判断に自信がもてないでいる。そういう時でも、エリートというのは鼻っ柱だけは強いので、相談する相手がいないんだ。相談イコール無力の証明、みたいだから。その点、俺ぐらいのオヤジになると、どう思われようが構わないみたいで、何でも相談してくれる。先日もあるエリートが息子との確執が始まったと落ち込んでいたので俺は励ましてやったんだ。
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そのエリートが「ああでもない、こうでもない」といつまでもグチャグチャ言ってるから俺は、「いいかげんにお前も腹をくくれ」と言ってやったんだ。俺がみるかぎり、親子の問題は理由のいかんに関わらず親の愛に原因がある。良い子だったら可愛がるし、悪い子だったら叱る、無視する、というような打算的なことをやっているから子は離れていくんだ。親のために良い子になる、なんて馬鹿げていると子供ながらに感じるのだろうな。だから、「俺ならこうする」と具体的な提案をそのエリートにしてやったんだ。
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子供の人生の節目、たとえば入学とか卒業とか成人などのときにお祝いと称して親子で旅行に出るのが良い。それは家族旅行ではなく、一対一の父子旅行だ。
よほど仲の良い親子でないかぎり、父子旅行がずっとできるとは思えない。子供が未成年のときしかチャンスがないだろうな。だが、一度でも父子旅行をやっておくと特別な思い出と親子の絆ができるものだ。日帰りよりも一泊以上の旅行が良い。そんなことをそのエリート氏に話してやったら、すごく喜んでくれていたよ。
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「なるほどね」と私が言った。
私にも三人の子どもがいるが、それぞれと父子旅行をしてきた。子どもにとって強い印象が残っているようで、いまでもその時の話題が出る。親子が二人きりの時間を過ごし、体験を共有すれば親子の絆は深まる。
思春期に生じる親子の確執もそれがあれば互いに乗りこえられる。
私は聞いた。
「松浪さん、仮にそうした父子旅行をしないまま子どもが大きくなり、親子の確執が深まってしまった場合はどうするんですか」
<明日につづく>