一昨日の続きをお届けする。まずはあらすじから。
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イギリスのサミュエル・スマイルズが書いた『自助論』と『向上心』は世界中の若者の心を鼓舞してきた。その『向上心』の中にこんなエピソードが紹介されている。
スコットランド出身の詩人、作家・ウォルター・スコットは 61年の生涯を送った。生まれつき病弱だったスコットは大学を中退し、父の仕事を手伝いながら弁護士の資格を取った。33歳のある日、終生の友となるワーズワースに出会った。彼が出版業を営んでいた関係から、スコットも本を書き、その後、歴史小説作家に転身した。やがてスコットはイギリス中で有名になり、国民的売れっ子作家となった。
だが、55歳のとき共同経営していた印刷所が倒産・破産し、スコットも莫大な負債を背負いこんだ。さらには愛妻が子供を残して先立った。悲嘆に暮れている場合でもない。スコットにできることは、筆一本でこの難局に立ち向かうことである。その後、次々と大作を書きあげヒットさせた。そしてその印税をみな債権者への返済にまわした。みるみると債務が減り、あと数年で返済が終わるところまで来た。ようやくグッスリ眠れるようになった 59歳のある日、過労がたたって脳出血で倒れた。一命は取りとめたものの腕が麻痺してペンをもてない。医師はこれ以上仕事をすると、命の保証はできないと言った。だが、返済はまだ終わっていない。
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以下、つづき。
スコットは迷わず医師に告げた。
「私に仕事をするなということは、やかんを火にかけて、”さあ、やかんよ、煮立ってはいけないよ”と言っているのと同じです」想像を絶する努力によって小説を書き続けたスコット。
だが、ひどくなる麻痺。それに小説技巧の衰えも目立つようになり、作品は以前ほど売れなくなってしまった。スコットは日記に書いた。
「とても苦しい。だがそれは精神的なものではなく肉体的なものだ。このまま目が覚めず、ずっと眠っていられたらどんなにいいか・・・」
自分の死期が近いことをスコット自身も感じ始めた。ふるさとの家に帰り、息子(娘婿)に向かってこう言った。
「おそらく私は現代ではもっとも多作な作家だったのではないかと思う。だが、誰の信念をもかき乱さず、誰の信念をも破壊しないように努力したこと、そして死の床にあって葬り去ってしまいたいような作品は一つも書かなかったことを考えると気が安まる」
そしてこう遺言した。「我が息子ロックハートよ、おまえと話をする時間はあとわずかしか残されていない。愛しい息子よ、徳をもち、神を信じ、そして正しい人間であれ。死の床に横たわったとき、お前に満足感を与えるものはこれ以外にないのだ」
遂にスコットはこの世を去った。その報道は英国中を大いに悲しませた。負債が残ったままであることをどれだけの人が知っていたことだろう。
父のあとを継いで息子ロックハートも作家になった。後に父の伝記、『スコット伝』を書き上げた。書き上げるのに数年を要した大作であり、文学史に残る名作となっただけでなく、商業的にも著しい成功をおさめた。そして、ロックハートもまた印税を父の債権者に渡した。彼自身はまったく責任のない債務だったが、父の感化を受けた息子が父の名誉のためにとった自然な行為であった。
いかがだろう、なかなかの美談である。
スコットは小説という作品を残しただけでなく、自身の生き様をも作品とし、人(義子のロックハート)を残したわけである。
金を残すもよし、名を残すもよし、人を残すもよし。何も残さず、きれいさっぱり後片付けをして世を去るも結構。だが、スコットの場合、負債と汚名を残しかねないところを義理の息子が救ってくれたのだ。
それは息子のおかげであると同時に、スコットの産物でもあるのだ。