ある夏の暑い日、山形の I 社長と山寺(やまでら)に登ることになった。「武沢さん、山寺といえば何を思い出しますか?」と聞かれたので、私はとっさに童謡を口ずさんだ。「やまでらの おしょさんが まりはけりたし まりはなし」すると I さんは、「ポンとけりゃ ニャンとなく、の山寺はここではなく、どこかの山寺ですよ」と笑われた。完全に思い違いをしていたようだ。
「ポンとけりや ニャンとなく」でないとしたら、山寺は何だろう?
しばらく考えたが答えが浮かんでこない。首にかけた手ぬぐいで汗をぬぐいながら私は「有名な名僧がここから出たのですか?」と言うと、I さんは「この寺で芭蕉が有名な句を詠んでいるのですよ」という。
こんな山深いところに芭蕉が来たこと自体がおどろきだが、ここで有名な句を詠んだとは初耳だ。いったい何だろう、すぐに思い出せない。「武沢さん、目を閉じて心を静かにして今の気持ちを表現すればたぶんアレだ、って思い出すでしょう。かなり有名な句ですから」私はペットボトルで喉を潤し、静かに目を閉じた。
週末だがまだ午前 10時ごろだったせいか、参拝客は少なく周囲は静かだ。山寺をのぼりはじめたころは、周囲は鬱蒼(うっそう)とした森だった。だが、森を抜けて山頂付近にくると木々は一本もなく、岩肌しかない。耳から聞こえるのはせみの声だけ。大きな岩にセミの声が吸収されていく。そのとき、あっ、と閃いた。
「しずけさや 岩にしみいる せみの声」
奥の細道の中でも特に名高いあの俳句がまさしくこの場面で詠まれたものと知り感動した。そこで私も一句ひねってみたくなった。
「山寺や ああ山寺や アブラゼミ」
I さん曰く、芭蕉の随行員の記録によると芭蕉がここで詠んだ句は最初、こういうものだったという。『山寺や 岩にしみつく せみの声』
(以下、ウィキペディア情報参考)
山形出身の歌人・斎藤茂吉は、この句に出てくる蝉はアブラゼミであると断定し、雑誌にその主張を書いた。それをきっかけにセミの種類について文学論争が起こり、ついには、東京・神田にある小料理屋で一席を設け、茂吉をはじめ安倍能成、小宮豊隆、中勘助、河野与一、茅野蕭々、野上豊一郎といった文人が集まって会議をした。
「アブラゼミである」と主張する茂吉に対し、小宮は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄 2年 5月末は太陽暦に直すと 7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にこの蝉はニイニイゼミであると主張し、大きく対立した。その会議の様子は新聞記事にもなったが決着がつかなかった。その後、茂吉自身が実地調査などの結果をもとに 1932年 6月、誤りを自ら認め、芭蕉が詠んだ句の蝉はニイニイゼミであったと結論づけられた。
だが真相を知るのは山寺の岩だけである。学術的にいえば、7月上旬に山形に出る可能性のある蝉は、エゾハルゼミ、ニイニイゼミ、ヒグラシ、そしてアブラゼミなのだ。当初の茂吉の主張が正しかった可能性も残っている。(以上、ウィキペディ情報参考)
山寺の一件以来、「しずけさや・・・」は私が一番お気に入りの句になったわけだが、ある日、自宅で新聞を読んでいたら息子が寄ってきてこう言う。「お父さん、芭蕉の”古池や かわずとびこむ 水のおと”ってどういう意味か知ってる?」「なんだいきなり。その俳句には意味もなにもないさ。古い池にかえるが飛び込むときの状況を句に詠んだだけだろう」と答えた。
すると息子は得意げにこう言う。「最近の理解は変わってきたんだよ、お父さん。山の中にね、古池屋という屋号の売店があったのに、そこでは何も買わずに泳ぐために川に人が飛び込んだときの音なんだ。テレビドラマでやってたよ」
「ネタとしては面白いが、実にくだらん。芭蕉さんが怒るぞ」
「松島や ああ松島や 松島や」という一見すると他愛もないような句でも、実際に松島に行って船に乗り、松島を周遊してみて理解できる。どこへいってもそこに違う松島の小島があり、どこを見ても違う松島でありながら、全体では同じ松島だからあの句が生まれたに違いない。だから、仮に「松島」のところを違う地名にしても成立する句ではない。あれは松島だけで通用するものである。
句といえば、今朝、ある僧侶の本をネットで探していたら、こんな和歌を見つけた。
「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」
月をこよなく愛し、「月の歌人」と呼ばれた僧・明恵(みょうえ)が詠んだものらしい。これも京都へ行けば分かるのだろうか。