駅弁と缶ビールは電車旅の楽しみのひとつだが、あるとき同行者の次男(当時15歳)から「お父さん、声が大きいよ」注意された。親子旅行のうれしさに加えてビールの酔いがミックスされて、声のトーンが大きくなっているのに気づかなかったようだ。
別の日、同じく次男と映画館に行ったときも、大爆笑するシーンがあった。とにかくおかしくて、声を出して笑っていたら、「お父さん、ちょっと」とたしなめられた。とにかく目立つことが嫌いな息子で、帰り道にそのことを褒めた。「人様の迷惑に配慮するそうした心構えはなかなかすばらしいことだぞ」と。すると、「とにかくああいうのはイヤなんだ」と次男。
思春期は「恥」に対してもっとも多感になる。だが、それを思春期の特徴というだけで終わらせて良いものだろうか。徐々に恥知らずな大人になっていないだろうかと時々胸に手を当てる。
次男が言った「とにかくああいうのはイヤなんだ」とはどういう心理なのだろう。そう言われてから 7年たつが、最近、思い当たる記事を見つけた。新渡戸稲造博士の『武士道』のなかに、武士が忌み嫌った「恥」の語源は、サンスクリット語で「傷を負う」という意味を持っていると書かれてあった。つまり、「恥」とは心の痛みを意味し、その傷みが耳にあらわれるから「恥」という漢字が出来上がったのかもしれない。
武士にとって親や上司、仲間たちから「恥を知れ!」とたしなめられる事ほど辛いものはなかったのだろう。だが、恥を知ってただ密やかにしていればそれで良いのだろうか。単に、物静かな人とどう違う、あるいは、違わないのだろうか。
そのあたり、松下村塾の吉田松陰はこんなことを述べている。
「心は小ならんことを欲し、肝は大ならんことを欲すの語を愛す」
細心でありながらも、覚悟はしっかり出来ている人でありたい、という意味だ。実際、松陰は私生活では貴婦人のように慎ましやかな人だったが、志士・思想家・教育者としての行動は周囲がハラハラするほど大胆だった。江戸幕府を倒す計画を練り、自ら国禁を冒してアメリカに渡ろうと黒船に乗り込んだり、老中暗殺を企んだりして、結局、安政の大獄に倒れている。
その松陰がもっとも愛した「孟子」は、「恥」という一文字をもって人を励ました。孟子がもっとも重要視した徳目が「恥」であるという。「恥じる」という言葉を忘れてしまい、破廉恥と剛胆を混同してしまうと周囲から人が去っていく。「恥を知る」という言葉を忘れずにいたい。