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スランプなら自分を変えればいい

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『鉄腕アトム』や『火の鳥』などの作品でおなじみの手塚治虫(てづか おさむ)は昭和 3年生まれで、本名も同じだ。だが、「手塚 治」という字を書く。子供のころの治少年はいじめられっ子で、天然パーマだったことから「ガジャボーイ」とあだ名された。

漫画が大好きだったが、作文も得意だった。空想好きだったので、小説家になろうと思っていた。できればエドガー・アランポーのような推理小説を書きたかったという。

人気番組「11PM」(イレブンピーエム)に登場したとき、司会の藤本義一(作家)が「あなたは子供のとき、どうして漫画家じゃなくて作家になろうと思ってたの?」と聞いている。

手塚は冗談めかしてこう答えた。

「小説の原稿は文字なので布団の中でも電車のなかでも書けるが、漫画はそういうわけにはいかない」

また藤本に「作風が変わることはありますか?」と聞かれ、「今までに 4回ほど大きく変わった。ざっと 10年に 1回の割合ですかね」と答えている。「どのように作風が変わってくるのですか?」と聞かれると、「だんだん生臭くなって煩悩が増えている」と笑っている。

30代で『鉄腕アトム』を大ヒットさせ人気絶頂期を迎えた手塚。その後も次々にヒットを飛ばし、漫画家としても事業家としても成功し、「漫画の神様」とまで言われた。そんな手塚でもスランプは何度か経験している。「手塚の時代は終わった」とまで言われた時期もある。

特に『巨人の星』に代表されるスポ根ブームの頃には手塚ファンが去った。そして自らが経営していた虫プロ商事と虫プロダクションは倒産し、手塚個人も当時のお金で 1億 5000万円の負債を負っているのだ。

それは手塚作品が売れなかったからではない。マンガからアニメに移行する時代に対応し、手塚は新しくプロダクション方式を採り入れて投資をかさねた。仕事は殺到していた。だがマネジメントにまでは手が回らなかったようだ。結局倒産し、自らもその当時を「冬の時代」と回想している。

虫プロの倒産によって「これで手塚は終わった」と言われた。たしかに負債のダメージは大きかったが、マンガ好きの”少年手塚治” は死んでいなかった。その後も旺盛に作品を発表し続け、奇跡の返り咲きを果たしているのだ。そして、晩年の作品の多くが漫画史に残る名作になった。

自分の作風を時代に合わせて変えてしまう才能がある手塚は、60代の半ばすぎから当時主流の劇画に対応した。そして、エログロも描写するようになった。やがて、「少年チャンピオン」に一回読みきりで執筆した『ブラックジャック』が話題を呼び、急きょ連載に切り替わったのだ。

毎回読みきりの連載というかたちでスタートし、今まで手塚漫画で活躍したオールスターを登場させた。1話目の読みきりではアトムが登場した。手塚にとって引退覚悟の作品だったが、この連載ヒットでみごとに復活した手塚は、その後、『三つ目がとおる』『アドルフに告ぐ』『火の鳥』(連載再開)、『ブッダ』などで二度目の絶頂期を迎えている。

1988年、半蔵門病院に入院。胃がんが進行していた。

しかし入院中も連載作品の締切に追われ、ベッドの上でマンガを書き続けた。きっと幸せだったことだろう。ベッドの上で漫画を書くのは大変だと思っていた手塚が、結局、その大変なことをやりながら大往生したことになる。神のユーモアだろう。

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