私が小学生の頃といえば、圧倒的にヒマでいつも遊びや刺激に飢えていた。宿題をやっていても友だちが遊びに来たら放り出して遊びに行く。
「たけざわくん、あそぼ」
「あ、健ちゃんだ、いいよ。キャッチボールする?」
「さっきザリガニが一杯いたから釣りに行こうよ」
「いいよ」
「お母さん、健ちゃんとザリガニ釣ってくるね」
「行っといで、晩ご飯までにはもどりなさいよ」
「は~い。糸とハサミを持ってくからね、あとバケツも」
塾や習い事に通う子は少数派。テレビも普及が始まったばかりだし、ゲーム機もない。ひとりで本やマンガを読むか、友だちと遊ぶことが最高の娯楽だった。メンコ、ベーゴマ、ビー玉、シッパン、チャンバラごっこ、かくれんぼ、おしくらまんじゅう、缶けり・・・。
子供たちの遊びは友を必要とし、友が集まると自然にコミュニティができた。ガキ大将も使いっ走りも自然にできた。友だちの家や放課後の校庭、近くの空き地や広場、神社、川や海、山、池、駄菓子屋や文具屋などがコミュニティの場となった。
時々、異質なものが交じって日常に変化を与えてくれた。
そのひとつが下校途中の道ばたで怪しげな物を子供たちに売りつけるおじさんの存在だった。下校時に子供の群れができていれば「あ、来てる!」と分かってワクワクしながら群れの外からのぞいたものだ。おじさんが並べている品々はいずれも怪しいモノで、時には手品グッズだったり、時には指と指をこすると煙が出てくる妙な液体だったりした。どれもこれも初めてみるものばかりで、何度か衝動買いして母に叱られたりした。
もうひとつの異質なものが紙芝居だった。
たしか 10円だったか、飴を買うと「黄金バッド」などの紙芝居を見せてくれる。買わない子には見せないというタテマエだったが、そんなに厳密に管理をしているようにはみえなかった。紙芝居のネタはヒーローものが中心だが、ときどきホラーもあった。
「猫娘」(ねこむすめ)だったと思うが、普段は大人しい女の子が実は猫の血が混じっていて、生の魚をくわえると様相が一変する。その豹変ぶりとおじさんの語り口や表情が恐くて夜トイレに行けなかった。
このように、昭和 30年代の子供たちはヒマな中にも充実した遊び生活を送っていたわけだ。
あれから幾十年、子供たちは塾や習い事で忙しくなり、友だちと遊ぶ時間が減った。広場や公園、川や池などの遊び場も減り、紙芝居も怪しげな物売りのおじさんも来ない。駄菓子屋も文具屋もコンビニに変わってお節介なおばさんがいなくなった。
人と人のふれあいが大幅に減り、今ではネットとスマホがそれらを補って余りあるのかもしれない。
こうして、単に昔を懐かしむことが今日の主題ではない。実は紙芝居こそ GHQ のアメリカ人たちが驚いた日本固有のメディアだったと聞くと話は変わってくる。そのお話しをしたかったわけだ。
日本の「kamishibai」(カミシバイ)のメディア力の影響かどうかは分からないが、アメリカにも絵本の読み聞かせという文化がある。日本の紙芝居に近いイメージで絵本を子供たちに読み聞かせるわけだが、絵本作家が自ら読み聞かせることも多い。
アメリカの場合、一風変わっているのは、絵本の読み聞かせは音楽家のライブと同じで、聴衆参加型である点。
90歳にして世界的絵本作家のアシュレー・ブライアンさんは、アメリカのメイン州にある小さな島で暮らす。そこをブラザートム氏が訪ねるというテレビ番組を見た。
これがなかなか感動的だったわけだが、紙面が尽きたのでこの続きは明日にしたい。