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ゾルバ・ザ・ブッダ その2

先週末、ディズニーランドのメリーゴーランドに乗った。恥ずかしさを忘れれば、大人でもけっこう楽しめる。所要時間が2~3分という短い時間だからこそ集中して楽しめるのだが、もし仮に3時間続くメリーゴーランドというものがあるとどうなるだろう。

さあ、一昨日のつづきだ。まずは、“和尚(OSHO)”のある講話を要約してお伝えしよう。

・ギリシャ人ゾルバのように食べ、飲み、陽気でいることはそれ自体完璧に良いことだ。そこに悪いことなど何もない。しかしそれだけでは不十分だ。それにすぐうんざりすることだろう。人がただ食べ、飲み、陽気であり続けることなどできるはずがない。

・メリーゴーランドの陽気な木馬も、くり返しているだけだと、すぐに嘆きの木馬へと変わる。おなじことをくり返すだけでずっと幸せでいられるのは、非常に凡庸なマインドだけだ。

・少しでも知性がある人なら遅かれ早かれ疑問が湧いてくる。こういったものに一体何の意味があるというのか、と。答えをくれ、なぜなんだ、と。

中小企業を中心にした経営コンサルタントを8年間やってきた。上記と同じような質問やつぶやきに幾たび接してきたことか。

・「ビジネスで儲けて、優雅に食べて、それが何の価値をもつのか」
・「毎年、増収増益をし続けないといけない理由がわからない」
・「決算書だけで評価されるような経営をしたくない」

など、高次元のマインドから出てくる質問に対して、コンサルタントしてどう答えるべきだろうか。いや、経営者である皆さんが、社員から同じ質問を受けたら何と答えるのだろうか?

再び和尚の講話に戻ろう。

・こういったことのすべてが、全く虚しいものだと解るようになるのは、経験を経たあとでしかない。ただゾルバだけが、そういったことすべての全くの虚しさを知るようになる。

・ブッダ自身もゾルバだった。ブッダは国中のあらゆる美女を手に入れていた。ブッダはあらゆる贅を尽くした。まさに、ギリシャ人ゾルバのように生きた。だからわずか29才にして完全に欲求不満になってしまった。

・ブッダは非常に聡明な人だった。もし凡庸なら、そういう中で暮らしていくこともできただろう。だがブッダはすぐに要点を見抜いた。それはただ同じことのくり返しであり、いつまで続くのかと、うんざりしてしまった。そして、それらのすべてから逃げ出した。

・だからギリシャ人ゾルバには反対などしない。なぜならギリシャ人ゾルバがゾルバ・ザ・ブッダの土台になるからだ。ブッダとは、そのような体験から出てくる。ゾルバのみがブッダとなる。僧侶のなかからブッダは現れない。僧侶たちはブッダを真似ているにすぎない。

・蓮の花が泥の中に咲くように、あなたも泥の中を通っていかないと花を開かせることはできない。泥とは世間だ。世間から逃げてはいけない。種のままでは花開かせることはできないのだ。

今を容認する、非常に現実的な内容の講話だと思う。

過日、政治家志望のある若者とお茶を飲んだ。彼は、今の日本の危機を私に訴え、政治がしっかりしないとこの国は立ちゆかなくなると訴えた。しかも資金もコネも勝算もない中を、次の選挙に出馬しようとしている。こうして、果敢にドロドロとしたなかに飛び込んでゆくこと、そしてそこをくぐり抜けていくことが、リーダーのスピリッツとして非常に大切なのではないだろうか。

※実に多くの方から、特定宗教・思想の話題を避けるようにとのご忠告をいただいています。わたくし自身、元来が好奇心旺盛ゆえ、二次情報よりも一次情報に近づきたいタイプの人間です。第三者の批評よりも先に、和尚が何を語っているかを知ろうとしたまでです。それ以上に教義を極めゆこうという気持ちはありませんので、どうかご安心下さい。和尚の話は今回で終わりにします。感謝!