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誰よりも常識的でありたい

「狂気を持とう」「異端であろう」というお話しを何度もしてきた。その必要性をますます感じる今日この頃。だが、先週お目にかかったソフトウエア開発の某社長はどうもそれを誤解しておられる。皆さんはどう思われるだろうか。

「武沢さん、うちには挨拶とかマナーとかが苦手な社員が多い。服装もだんだんカジュアルを通り越してだらしないって雰囲気。何度言って聞かせても研修やってもダメだ。だがあいつらはいったん仕事が始まるとすごく有能だし、付き合えば良い奴らだし、まっ、しようがないかって諦めてる。」

「え、諦めるのですか。」

「だって最近の『がんばれ社長!』でも異端とか狂気を持てって書いてあるし、挨拶くらい出来なくても仕事に専念させるほうがお互いのためだろうって、自分に言い聞かせているのですよ。」

社長の気持ちが最後のトリデだ。社長が大目にみてやろう、と思ったその瞬間、その部下から挨拶の意識が消え失せる。「狂気をもつ」「異端である」という事は、マナーが悪いことや人間として常識をわきまえない行為を容認させるものではないのだ。

服装・身だしなみ、言葉づかいやマナー・エチケットなどの世間常識を尊重し、それをわきまえられる人間でなければ、その思想やアイデア、技術がいかに魅力的であったにしろ、良い仕事はできない。

狂気や異端が必要なのはその思想・アイデア・行動の革新性や斬新性のことであり、態度や立ち居振る舞いのことではないのだ。そうしたことを混同してはならない。

今日は短いが以上。

企業のリーダーとして部下に対するちょっとした「ひと言」があなた自身の武器ともなれば、敵にもなります。その真理をこのセミナーから吸収してみませんか。