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革命と思想家

まずは読者からのメールを要約してお伝えしよう。

宮城県 沢渡さん(小売業経営)

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3日連載された「松陰さん」について、武沢さんの主張はおおむね理解できるが、どうにも納得できない点があるので筆を取った。私利私欲、とりわけ肉欲を敵対視し、それを早く昇華させろとあったが、昇華させなくとも同居できるのではないだろうか。現代人に対して、そのような欲を否定するようなメッセージは受け入れられるものではないと思う。
たとえば、同じ長州人でも高杉晋作などは、師の松陰とはずいぶん人間のタイプが違っていて、革命のさなかでも「土蔵相模」などの宴席場に同志を集め、時に痛飲している。また、折りにふれてご婦人の存在が志士活動の隠し味となっているわけで、私はそうした志士活動のほうに魅力を感じる。松陰先生のような禁欲的な生活態度は私の好みではない。正直言って松陰さんを取り上げた3日間の原稿に対しては、どこか少し引いてしまう自分がいた。
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なるほど、沢渡さんのご意見も理解できる。

172年前の8月4日、吉田松陰が生まれた。作家の故・司馬遼太郎さんは、「革命は三つのタイプの人間が組み合わさって成就する。」として、次のようなことを述べている。

革命の初期段階でまず最初に必要になるのが『思想家』。通常、思想家は非業の死を遂げる。吉田松陰はその筆頭にあげられるだろう。ついで表れるのが『戦略家』。これまた志なかばにして倒れる。その代表が坂本竜馬であり、高杉晋作だろう。最後に革命を成就するグループがいる。それは『実務家』『技術者』だ。それが大久保利通、伊藤博文など、明治の元勲の大半がそうであろう。」

今のあなたには、『思想家』『戦略家』『実務家』のどの役割が必要なのだろう。

創業間もない会社であれば、社長は一人三役をこなさなければならない。ある程度の組織が出来てきたならば、一人二役か、一役でよいかも知れない。いずれにしろ、替わってくれる人がいないという意味で、経営者には『思想家』の役割が必要だ。とりわけ、昨今の経済難局においては尚更のことだ。

また、今の日本の政治家にはどのタイプが一番必要とされているのかを考えたとき、これまた新しい秩序の到来を語るべく『思想家』が一番不足していると思う。そうした意味で、思想家「松陰さん」をお届けしたわけだ。

『思想家』『戦略家』『実務家』各々に必要な要素は異なるはずだ。

思想家として大切な要素は、常軌を逸した純粋性と過激性ではないだろうか。松陰の場合、己の思想に対して忠実で、実行の伴わない思想や学問を忌み嫌っている。その常軌の逸しかたのひとつの表れが禁欲にもつながっているのだと思う。その松陰自身が師と仰ぎ、友と仰いだ逸材は数々あれど、結局かれらは松陰ほどの足跡を残していない。それはなぜか?思想に対する純粋性の濃度だと思うのだがいかがだろうか。

沢渡さんのメールのおかげで、ほどよい補足原稿をお伝えできたことが幸いだ。

夏になると思い出す、松陰さんの誕生日と「世に棲む日日」。