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志を練る

「武沢さん、経営者の会合って無数にあれど、熱気と緊張感があるものと、ダラーと白けた会合とがありますよね、あれって何の違いだと思います?」

「何でしょうねぇ?考えたことがないですね。」

「私考えてみたんです。ゆうべの会合があまりにシラーッとしていたので。」

彼の説によれば、参加者の目的があるひとつのテーマに集中し、主催者もそれに応えようとしている会合には、熱気と緊張感があるという。その反対に、いろんな思惑の人が混在した会合には、何ともいえない白けた雰囲気が漂うという。そうかも知れないし、他の要素があるかも知れない。だが、“目的がひとつ”という意味での同士的な結びつきは凄まじく、それは熱気というより磁気とよぶべきものかも知れない。企業内において、そうした磁気を帯びた“目的がひとつ”という同士関係をいかに作るかの鍵を握るのは、経営者自身の志である。

その昔、志士たちは漢詩をつくり、自らの志を絶えず練っていた。墨痕あざやかな自作の漢詩を仲間と交わすことが一般的に行われていたようだ。

禁門の変において25才で自刃した久坂玄瑞は、松下村塾の師・吉田松陰からも才能を高く評価されていたという。その久坂は、長州藩士のなかでも檄文の達人としても名が通っていたようで、いくつかの過激な漢詩をいまに残している。

以下は、「長州漢詩集」でみつけた久坂の詩だ。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~guinpuu/kansi-tyousyuu.htm

そうあい ふみやぶる ばんちょうのやま
雙鞋蹈み破る萬重の山

ここのえにむかって やきん けんじんと  ほっす
九重に向かって野芹を獻じんと欲す

このさい だんじ かぎりなしの こころざし
此際男兒限り無しの志

らんらくに ようふんを ふせしめん
鸞輅に妖氛を付せしめん

【意味】
この草鞋で幾重に連なる山々も踏み破ってやろう。田舎者ではあるが、人のため何かがしたくて、心は天朝に赴いている。この国家の一大事に男児たる者、その天下の志は限りなく溢れ、神国日本に外夷の穢れなどを近づけさせはしない。

私たちにとって、漢詩づくりに相当するものは何だろうか。自らの志を練り上げるために何をしているだろうか。我が魂に定期的に檄文を送りつけてやろう。そうした、自らを鼓舞するなにかの習慣をもつことが大切だと思う。

あなたオリジナルの方法があれば、お知らせ願いたい。