★テーマ別★

車検チェーン店「コバック物語」 その2

Rewrite:2014年4月4日(金)

前回のつづき>

父「バカも休み休み言えよ、何をお前は言ってるんだ!」

子「オヤジこそいつまで古くさいこと言ってるんだよ」

父と子の経営バトンタッチには愛と憎しみのドラマがある。言葉に遠慮がいらない分だけ親子のトラブルは感情的になる。何事もなく親子の事業継承がなされることは、稀なのかもしれない。 コバック社の小林社長の場合はどうだったか。

20才で父の会社に入社して以来18年間、創業者である父との衝突はたびたび起きた。5年前の33才のとき小林社長は社長の座を譲り受けたが、父は会長として実権を握っており、社長就任後といえども意見衝突が収まることはなかった。

二世帯同居の小林社長にとって、母や妻、そして我が子まで衝突さわぎに巻きこむのはつらかった。しかし「車検のマクドナルドを作りたい」という強い思いの小林社長だからこその対立だった。 冷静な第三者なら、きっとこうアドバイスしたことだろう。

「後継者にまずひとつの事業部門を任せて経験を積ませ、結果が出せるようになったら安心してバトンタッチすれば良いではないか」

だが小林社長は言う。

「それは当然の意見に聞こえますが、現実的ではありません。むしろ二代目の私が年齢を重ね、家族も持ち、社内で実績を出せば出すほどかえって対立が深まりました。むしろそうした経験と実績が父にとっても私にとってもジャマだったみたいです。入社して間もないころの謙虚さがなくなりますしね」

「でも、どうして同じ会社、しかも身内なのに理解しあえないのか真剣に悩みました。新しいことをやろうという人間、任された人間がリーダーだと思っていました。責任をもってなし遂げるべき人がリーダーなんです。私が新しい分野のリーダーのつもりでいましたが、父はそこまで私を信頼してくれませんでした」

「分かりやすく言うと、私の夢や目標をいつもジャマする敵が父でした。父の存在そのものが私のジャマだと思っていました。最悪のシナリオ、つまり、袂を分かつことを考えたのも一度だけではありません」

外見は温厚な好青年だが、小林社長にはそうした大胆な行動をとれる胆力がありそうだ。だが、そんな小林父子の関係も、あることをきっかけにして大きく変わりはじめる。

「でも今では、私の夢・目標の最高の理解者であり、支援者が父だと思えるようになりました。そのきっかけとは、本当にちょっとしたことでした。それは私自身の問題だったのです。父に理解してもらうことばかりを考えている自分に気づいたんです。わかってもらおう、認めてもらおうと必死だったのですね。そんな時に『バカも休み休み・・』なんて言われると、言葉を額面通りに受け取ってしまい、失望したり感情的になったりするんです」

「でもあるとき、父の言葉の奥底にあるメッセージに耳を傾けることにしたのです。『バカも休み休み言え』という言葉の裏には、息子である私に失敗させたくない、永年いっしょに働いてきてくれた社員を路頭に迷わせるようなことはさせたくない、という願いが込められていることに気づいたのです」

「もっと知恵を使えよ、もっと良く考えろよ、というメッセージだったのです。そのことに気づくのに18年もかかってしまいました。自分の器が小さかったのでしょう。父を敵だと思っていると、すべてが反対意見にしか聞こえません。強烈な支援者として父をみることが出来るようになったおかげで、父の反対意見は助言として聞こえるのです。不思議なものですね」と白い歯をこぼす。

「私は大変貴重な経験をさせてもらいました。この経験と気づきは私の財産であるだけでなく、全国のFC加盟企業とも分かちあうことが出来れば良いな、と思っています」

さて、10兆円とも言われるカーアフターマーケット。その中でコバックグループ総帥として小林社長が描く成長戦略とはなにか、次回にそれを語って頂くことにしよう。

<明日につづく>