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続・オリジナルの人生を生きる

続・オリジナルの人生を生きる

●6月26日号の「オリジナルの人生」の続きがまだ配信されていない。
気になるので続きを書いてほしいと連絡をくださった読者がいる。
あやうく失念するところだった。

●次々に事業を起ち上げ、その都度成功させてきたE社長にしゃぶしゃぶをご馳走になったうえに、「武沢さんの人生は自由そうにみえて愉快だ。
オリジナルの人生を生きておられる」と褒められ、いい気になってしまった。

●しかし、よくよく考えてみたら人の人生はすべてオリジナルだ。
オリジナルではない、誰かのコピーみたいな人生を送るなんてことはありえない。
誰だって自分ならではの試みをし、固有の悩みや問題を抱えて生きている。

●よく言われるような「安易な人生」とか「レールで敷かれた人生」なんて存在しない。
親や周囲がレールを敷こうとするときもあるが、レールなんてあるようにみえて実際には
存在しない。

●ただ、誰かの後追いをするのではなく自分なりに考え、決断し、勇気ある行動をしてきた人とそうでない人がいるのは事実だと思う。
自分の頭で考えたことなら、その結論が誰かと同じだったとしても、それはオリジナルだ。奇抜なことをやったとしても誰かのマネならそれはコピーだ。
人が映画や小説の「物語」を好むのは、オリジナルの人生をいきている人と一瞬でも一緒に歩んでみたいからではないだろうか。

●私はE社長にその当時観たばかりの映画『パッチ・アダムス・トゥルー・ストーリー』(主演:ロビン・ウィリアムズ)の話をお聞かせした。オリジナルの人生とはこういう
ものだ、という手本のような映画に思えたからだ。

●しかし、映画のモデルとなったアダムス氏自身は「私の映画は見なくていいよ」と語っている。氏が来日した際、日本の医大で講演し「私の映画は見なくていいから黒澤明の
『赤ひげ』を見なさい」と言って学生たちを驚かせたのだ。
そればかりかアダムス氏は「赤ひげ」を「ドリトル先生」と並ぶ理想の医師像だと語って
いる。

●映画『赤ひげ』(1965年、黒澤明監督作品)の原作は山本周五郎の『赤ひげ診療譚』。
映画の前半はほぼ原作通りに進むが、後半はドストエフスキーの「虐げられた人々」を
取り入れて構築されたという。映画をみた原作者の山本周五郎をして「原作よりいい」と
言わせしめ、興行も大ヒットを収めた。黒澤のプロデュース力の見事さが存分に発揮された作品だ

●仕事を頼めば高額な費用が発生するのが当たり前という医療行為で、敢然と「無料」
または「無料同然」で引き受けたのが赤ひげ先生。
その影響を受けたのかもしれないが、パッチ・アダムス氏の医療も無償だった。

●大それたことでなくてもいいから、誰もやったことがないことをやってみたいと思って
きた。私がやってきたのは、23年間無料メルマガを書き続ける仕組みづくりと、それを
支える収入確保策(広告とオンラインサービスで)だった。手本はなかったので自分で
考え、試行錯誤するしかなかったが、「やってみたい」「やれるはずだ」と思っていたのでやってこれたのかもしれない。

この稿、どうもうまくまとまらないがこれにて「完」。