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私はメカ音痴なので・・・

私はメカ音痴なので・・・

●人は自分を固定的に見がちです。
たとえば、「私はメカ音痴なので」とか「私は人前で話すのが苦手なの」といった具合。
極端なものになると「私は文化系なので」とざっくり括ってしてしまい、科学的なことや
テクノロジーを一切学ぼうとしない人がいます

●能力や才能は、取得するつもりがあるかないかの問題であって、どんなにがんばっても
取得できない能力なんて存在しないと思います
メカ音痴だった人がエンジニアになるのは大変でしょうが、メカ音痴を克服することは
たやすいのです。

●よい教師に付くか、よい本を手に入れれば、たいていの音痴は克服できます。
いったん音痴を克服してしまえば、今度は逆に好奇心がわいてその分野に詳しくなること
だってあるのです。

●実は私も「メカ音痴」でした。学生時代は理数系の科目が苦手でした。最初の就職先は
製造業でしたが図面がまったく読めず、現場で図面を囲んで打合せしていても、会話に
ついていけなかったことが何度もありました。

●結局、それがひとつの理由となって製造業から小売業に転職しました。転職先では図面を読む必要はなくなりましたが、計数管理やコンピュータ管理に力を入れている会社でしたので最初は面食らいました。

●転機は入社三年目にNECのPC8001という当時「マイコン」と呼ばれていたパーソナルコンピュータを買ったことです。1979年に発売が開始され、私は発売翌年に職場の社長に
すすめられて買いました。

●手取給料の2ヶ月分以上する高価なものでしたが、アパートの自室の一等地にマイコンが置かれたことで、私の生活は一変。アパートにいる時間はすべてマイコンに向かうように
なりました。チンプンカンプンな機械でしたが、元をとるために勉強し「BASIC」という初歩的な言語をマスターしました。

●話を端折りますが、その5年後。私は会社の業務管理のソフトウエアを自分で開発して
いました。アスキーの「ザ・カード3」というカード型データベースをつかって営業社員の業績管理、賃金計算、それに会社全体の在庫管理などのソフトを私ひとりで開発していたのです

・たけちゃん、こういうこと出来ないかな?
・たけざわくん、この作表がすっごく面倒なんだけどコンピュータでなんとかならない?

●そんな依頼が連日舞い込み、「ちょっとやってみます」と会社に残ってサービス残業で
仕上げます。一晩か二晩、時には一週間くらいかけてボランティアでソフト開発をしていたわけです。残業代はつきませんでしたが開発が楽しくてしようがなくなっていました。

●わずか5年で「メカ音痴の武沢」から「パソコンの鬼・武沢くん」に変わったわけです。正確にいうと、今も図面を読めませんし、メカ全体に強くなったわけではありません。
興味がないことはいまも弱いままです。でも対象に興味があれば、誰でもそのことに詳しくなれるのです。大切なことは興味をもつかもたないかということ。

●何ごとにおいても好奇心さえまずあれば、能力はあとから付いてきます。好奇心は成長の原動力です。
逆にいえば、好奇心という推進力がなければ能力は伸びないわけで、本人も成長もしません。

●もし好奇心が乏しい人を採用してしまうと教育も指導もうまくいきません。周囲は手を
焼くことになりますから、年齢に関係なくそういう人は採ってはならないわけです。
すくなくとも成長志向の会社には不向きでしょう。

社長の仕事は会社全体を、いや、会社そのものを好奇心の塊にすることです。

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