自己変革

68になって思うこと

ふだんは大垣にいる弟と母親が訪ねてきた。
弟とは二歳違いだが、誕生日が一緒ということで、ふたりの誕生日を家族で祝ってくれた
弟とふたりでハッピーバースデーを歌ってもらったのは高校生ぐらいが最後で、半世紀ぶりのできごとだった。

これで68になった。
メルマガを創刊した直後のころ、68歳のM社長のことを書いた。
68歳でもまだ新しいことにチャレンジしようとされている心意気に感動したからだ。
当時私は46歳。
68歳の方は誰しもが老境の域に達しているようにみえた。

いま自分がM社長と同年になってみて思うことは「たかが68くらいで老境だなんてとんでもない」ということ。
たしかにフィジカルの面ではあちこち弱ってくる。

先日も東京ドームで急勾配の階段を上下して膝が痛み、心拍数も上がった。
もう上下動したくないからトイレもビールも我慢した。
年齢を実感する瞬間だった。

だが内面は半世紀前に弟と誕生日を祝いあったころとほとんど変わっていないように思う。周囲がどんどん立派になり、勝手に持ち上げてくれているだけだ。

なかには60代も後半にさしかかると命の限界を感じ始める人もいる。
ある先輩経営者が65歳の誕生日を迎えたころ、「僕はもう長くない。せいぜいあと10年だと思う」と言われてショックを受けたことがある。
幸い今もお元気だが、気持ちは弱くなられたままだ。
私自身に関していえば、たかが68歳はマラソンの折り返し中間点くらいのつもりでいる。

伊能忠敬は55歳で隠居生活に入ってから日本地図制作に取り組んだ。
江戸時代の平均寿命は40歳前後。
今にあてはめてみれば100歳からの地図制作チャレンジになる。
結局彼は73歳で亡くなっているが、平均年齢の2倍近く生きた。
いまの150歳に相当する。

メルマガ創刊時、68歳の経営者を老境扱いしたことが申し訳なく思える。
これからの医療革命は人間の寿命を急速に延ばす。
内臓や血液はもちろん、肌も髪も歯も若返る。
細胞全体が若返ってくる。
そんな時代があと何年かでやってくる。

2500年前、孔子は言った。

「吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」

これからの長寿社会にあってはこんな続きが要りそうだ。

「七十にして再び学に志す。八十にして再び立ち、九十にして第二の天命を知る」