フェアプレイや公明正大、正義を説く立場の人が悪いことをする。例えば、警察官が万引きをしたり、教師が生徒をいじめたり、政党幹部が賄賂を受け取ったり、公務員が賭博に手をそめたり、エリート官僚が買春したり、人気役者が酒場で大げんかしたり…。立場上あってはならないことだからマスコミも大きくそれを報じるし、ニュースに接した私たちも「何やってるんだ!」と嘆かわしく思う。
また、こんな矛盾を感じることもある。とんでもない事件を引き起こした犯人の近くに住んでいた人が犯人のことを「まさかあの人がそんな事をされる方とは」とか、「ふだんは、とてもにこやかで挨拶もきちんとされる人でした」などと言う。評判が良い人がありえない事件を起こした、というわけだ。
私たちには二面性や意外性があることは誰でも知っている。そのあたりの不思議さについて、心理学者は「不思議でも何でもない」と言っている。ある論文では「普段良いことを行っている人ほど、その反動で悪いことをしたがる」と報告されてもいる。
意志が弱いから犯行を犯す、悪い人だから悪いことを犯す、というのではなく、ふだんは意志が強かった人が何かの反動で弱くなり、普段良い人だった反動で悪くなる、というのだ。
出典は『スタンフォードの自分を変える教室』(ケリー・マクゴニガル著大和書房)で、「罪のライセンス」として紹介されている。世間を騒がすほどのスキャンダルは起こさないとしても、ちょっと脇道にそれる程度の脱線は誰でもが起こし得るというのだ。
たとえば、普段は性差別に断固反対している人でも実際に面接のときには性を基にした採用判断をする、という実験データが紹介されている。つまり、人はいったん意見を表明したらその後も自分の意見に従って行動するものと思いがちだが、それがしばしば覆されるという。終始一貫して言行一致したいという私たちの願いが、時によって例外が起きてしまうわけだ。
こうした心理の奥にあるものは、「モラル化」だと著者。モラルとしてそれを実行していると、実行できて「良し」、できない
と「ダメ」となる。そしてモラルとして取り組んでいるものは、やがて気晴らしを欲してサボるようになる可能性が高い。これだけがんばったのだから、ちょっとぐらい自分にごほうびを、と自己正当化する。その結果、誘惑のわなに自ら落ちていきスキャンダル化する。
早寝早起きもそうだ。自分のモラルとしてそれが正しいし、ダイエットするのも自分的に正しいことだし、社長として経営計画を作ることも正しい。こうして、正しいか正しくないか、善か悪かで自分の行動をとらえている人ほど悪に流れやすいというわけだ。しかも根が真面目で誠実な人ほど「ダメ」な自分をみて自己矛盾を起こし、ヤケになって大きなリバウンドを起こす羽目になる。善人ほど犯人になりやすいということでもある。
さらには、セミナーを聴いただけでやれるような気分になるとか、目標を作っただけでやれた気分になるというのもその延長にある心理だという。
明日も引きつづきこうした心理について考えてみたい。
★参考図書『スタンフォードの自分を変える教室』
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