Rewrite:2014年4月1日(火)
ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』の中に次のようなくだりがある。
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私(ドラッカー)が13才のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
長い年月が経って、私たちは60年ぶりに同窓会を開いた。ほとんどが健在だった。あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。するとひとりが、「フリーグラー牧師の質問のことを憶えているか」といった。みな憶えていた。そしてみな、40代になるまで意味が分からなかったが、その後、この質問のおかげで人生が変わったといった。
今日でも私は、この「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るように仕向けられるからである。
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私たちにはそれぞれ異なる指紋があるように、自らの固有の強みや能力がある。それを仕事や生活に活かし、誰かの役に立つ。その時、当の本人に「何によって憶えられたいか」という意思があれば、生き方の納得具合が上がるはずだ。
M福祉センターのTさんという方にお会いした。長年勤務した大手生命保険会社を定年退職され、60才から今の福祉介護事業を始められたという。Tさんは言う。
「私は以前にロケット工学で有名な糸川英夫教授の講演会を主催したことがあります。その中で糸川先生は大変インパクトのある言葉を我々に残された。それは、『定年』という概念を私たちの頭の中から追い出してしまえ、というものでした。しかも、将来構想は100年計画で、自分の亡き後のことまで考えて夢を描けというものでした。私は、自分の定年後の人生設計のことなども考えてはいたのですが、この講演会の最中に糸川先生から指名され、『Tさん、あなたはどうするのか?』と質問されたものですから、思わず『働き続けます!』と言ってしまった。(笑)そのおかげで今、民間の福祉介護事業として超長期的なビジョンのもとで経営にあたることが出来ています。社会に必要な事業なのです。自分一代かぎりの事業として考えていれば、きっと今の事業を始めることは出来なかったでしょうね」
Tさんは今年64才。「何によって憶えられたいか」の答えを持っておられるお一人だ。
私は申し上げた。
「最近の60代の方は若くて元気な方が多いですね」
すると意外な答えが。「外見はそうかも知れないが、内心ではそうとも言えないでしょう。休むとだめなんです。」
「休むとだめ?」
「そう、知人のなかでも定年を境にして退職金をもらい、年金や失業保険などをもらって、仕事の第一線からいちど遠ざかってしまった人たちがいる。そういう彼らの多くは再び立ち上がってこれない」
休まないためにも「何によって憶えられたいのか」を決めておこう。