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「ザ・ファイト」で学んだこと

「ザ・ファイト」で学んだこと

●会議に参加するとその会社のことが非常によくわかる。
Zoomの会議でもわかるが、リアルの会議だと開始1分でわかる。
社長がどのように振る舞い、周囲がどのように社長と接しているかをみるわけだ。
社長が社長らしくふるまい、周囲も社長に敬意を表し、社長の発言に耳目を集中している会社は伸びる。
反対に社長がリスペクトされておらず、むしろ軽んじられているような会社もある。
そんな会社は決して伸びない。
もし今伸びているとしてもやがてダメになる。
リーダーシップが機能しているかどうかが会議ですぐわかるのだ。

●私が20代のときに働いていたスポーツ用品の会社はカリスマ社長だった。
誰もが社長の発言に従う信長のようなワンマン社長だったが、事実、社長の判断はいつも的確だった。
ただ社長も周囲も年齢が30代や20代ばかりと若く、イエスマンみたいな人間はいなかった。
他人の意見に耳をかたむける社長でもあったので意見具申はしやすかった。

●あるとき、私は社長から辞令を手渡された。
ナンバーワンの売上げを誇る岡崎店店長から、新設の人事教育課の課長職に異動を命じられたのだ。
そこでの最初の特命は「社内報の季刊発行」だった。
年に四回のペースでB5サイズ8ページの社内報を企画・発行してもらいたいという。
社長のリクエストは「社員全員(当時200名)が楽しく読め、それでいて、会社の思想や方針がすんなりと浸透していくような紙面作り。
単なるコミュニケーションペーパーではない」というものだった。

●新しいポスト「人事教育課」。
スタッフは私ひとり。
直属上司は社長。
いまにして思えば大チャンスをもらえたわけだが、そのときの私は「いったい何をすればいいの?」「何で私なの?」という気持ち
口の悪い同僚は言った。
「武沢、それって左遷だぞ」「お前もついに腕カバーして事務仕事か。毎日退屈だぞ」

●当時20代後半。経営のことは何も知らないし、人事や教育のことも分からない。
ただ腕カバーして電卓をたたくような事務仕事はやりたくなかった。
そこで私は社長に進言した。
「社長、当面は社内報の立ち上げに集中します。ですので、季刊の発行ではなく毎月の発行にしていただけませんか」
「ほお、君がやれるのなら僕としてもありがたい」
「わかりました。では今月から毎月発行します」
結局、その月から社内報『ザ・ファイト』(社長命名)の毎月発行が続いた。

●この『ザ・ファイト』が社内の意識統一やベクトルあわせに甚大な力を発揮するようになった。
8ページの内容はこんな企画で埋められた。

1ページ:今月の巻頭言 (社長メッセージ)
2ページ:What’s New Now「会社の新しい動き」(専務、常務など 役員の投稿原稿、または武沢の取材原稿)
3ページ:     〃
4ページ:人事教育インフォメーション
5ページ:     〃
6ページ:スキルアップコーナー(商品知識、技能向上情報)
7ページ:     〃
8ページ:人物紹介シリーズ(毎月一人の社員を取材)
9ページ:店舗紹介シリーズ(毎月一店舗取材)
10ページ:セール情報:向こう三ヶ月のセール/イベント日程と内容
11ページ:The Book(おすすめ本2~3冊紹介)
12ページ:今後の公式行事日程、編集後記(人事教育課の仕事舞台裏)

●1ページの「社長巻頭言」以外は原則として全ページ私が書いた
1970年代から80年代にかけてのことなので、すべて手作業である。
右手の腹部やYシャツの袖が真っ黒になった。
はからずも腕カバーが欠かせなくなったが、格好のことなど気にしていられないほど毎日が戦場のような日々がはじまった。

●翌月号の企画段階と、ゲラ刷りがあがってきた校正段階の二度、社長のチェックが入る。
たいていの場合、赤の色鉛筆で文章や文字の訂正があるくらいで、差し戻しをくらったことは一度もない。

●この『ザ・ファイト』が上場企業になるうえで果たした役割は大きい。
自慢しているのでなく客観的にそう思う。
ただ、編集者である私より社長が果たした役割のほうがはるかに大きい。
なぜなら、役員会議や幹部会議などあらゆる場所で社長が「今月のザ・ファイトに書いたように」「それはザ・ファイトに載っているが」など、ことあるごとに「ザ・ファイト」を連呼してくれたことだ。

●発行当初の3ヶ月ほどは、社内のくずかごに捨てられてあるのを何度もみた。
精魂かたむけてつくったものとしては忍びないものだ。
あるときの幹部会議で社長が全員に段ボール箱から取り出した文具をくばった。
その大きめなファイルキャビネットには「ザ・ファイト、バックナンバー」と印字されていた。
毎号ここに綴じて店長室に保管してほしい、という言葉が添えられた。

●そのときザ・ファイトは「武沢の私設新聞」から「会社のオフィシャルペーパー」になった。
それ以来、ゴミ箱でザ・ファイトを見ることもなくなった。