栄枯盛衰 諸行無常
●1982年(昭和58年)、私が28歳のとき研修船「とうかい
青年会議所主催のこの船は毎年異なる目的地をめざすが、その
目的地でのホームステイ研修もあるが、主目的は船内における共同
●台湾も厦門もとても印象的だったが、今日は香港の出来事を書く
港に着いて、バスで市内へ移動した。
今は高層ビルが林立する世界
バスから見下ろす人々の生活はま
「遅れてるなぁ」「懐かしいなぁ」、ぼんやりと車窓からの景色を
日本の方がはるかに近代国家であ
少なくとも80年代までは。
●その夜、香港の表情が一変した。
当時から香港は100万ドルの
湾内をクルージングする我々をうっとりさせるロ
ビルは今よりはるかに少ないが、巨大な広告看板
●ロマンチックな夜景の一部は広告だった。
しかも「NEC」「Canon」「HITACHI」「TOSHI
外国企業のものもあったはずだが印象にない。
その光景を目にした私は不覚にも「恥ずかしい」と思ってしまった
露骨に目立つ看板に品性を感じられなかったからか。
だが結果的に
大半が中
●「恥ずかしい」と感じるほど目立っていた日本企業が世界の主要
90年代初頭のバブル崩壊以後、自動車などごく一部の産業をのぞ
日本がバブル経済の残務処理
日本企業は、欧米のみならずアジア企業に対しても後塵を拝す
●バブルの残務処理は終わった。
だが日本の大企業は次の成長戦略
1982年に香港で見た「HITACHI」の看板は輝いていた。
●だがハードディスクはパソコン共々コモディティ化していった。
結果的にはこの巨額買収は失敗した。
今週、ついに上場子会社の日立金属を売却すると報じられた。
売却
時間はもう残されていない。
●時間切れになってしまったのは東芝か。
英国や米国のファンドな
経営陣はそれを
●あきらかなことは世界のメジャープレイヤーだった日本企業が次
そして、それらの企業にとってかわる
●デジタル政府、脱炭素、AI、DX、EV、自動運転、5G、ク
ニッチな分野でしっかりと利益
だが、最初から世界
そうした若い起業家
日本も起業家人材の育成を怠ったままでいると、海外旅行者が日本