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言葉が見つからない

言葉が見つからない

●今日は言葉が見つからないことを言葉にせねばならない。

私にとって彼の存在は30代の営業マン時代からライバルであり、畏友だった。
40代になって二人とも営業の仕事をやめたので10年以上疎遠になった。
だが、私の『がんばれ社長!今日のポイント』を彼が見つけたのをきっかけに私のオフィスを訪ねてきてくれた。
それをきっかけに一緒にメルマガセミナーをしたり、決して強くないお酒に私がむりやりつき合わせたりするなど、縁が復活した。

●その後、つかず離れずの時期もあったが数年前に「経営次進塾」のオファーをもらい、グーンと縁が深まった。
「経営計画指導は武沢さんが日本一だ」と彼がいろんなところで吹聴してくれるようで、私の仕事も増えていた。
一年前の2月には私のオファーでYouTubeにも出演してくれた彼。

●そんな畏友・石原明さんが先週亡くなった。
2月3日の朝、布団の中で亡くなっているのを家族の方が発見されたと聞いた。
究和エンタープライズコンコードの社長として石原さんを支えてこられた松本社長から急死の連絡を受けた。
Zoom経営計画合宿を開催中だったが、私はしばらくのあいだ頭が真っ白になり講義を中断した。

●石原さんとの主な連絡手段はLINEだった。
新しい経営塾を立ち上げて順調に集客できている、というLINEメッセージをもらったのは昨年暮れのことだった。
また何かの分野でコラボしようと話し合ったばかりだったのに…。

●62歳という年齢でこれから、というときに心筋梗塞に倒れ、急逝された石原明さん。
あわただしくご親族の方経由でお通夜・葬儀の日程が入った。
私は残念ながら身動きできなかったが、共通の友人である青木毅さん(質問型営業)は京都から東京まで駆けつけたそうだ。

●「安らかな表情だったよ」という青木さんの言葉に救われる思いがした。
しかし仕事好きで趣味や遊びに関心がなかった石原さん故、おそらくやり残した仕事が山積していたことだろう。
それを思うと残念でならない。

●年齢は私の方が四つ上だが、石原さんと私は同じ誕生日。
そんなこともあってシンパシーを感じつつも、内心ではこの人には叶わないなとも思っていた。

都心の一等地に百坪ものオフィスを借りてコンサルティング事業を拡大していく力。
持ち前の営業力、企画力、提案力で次々に有力企業を顧問先にしていく力。
20年前に始めた手作りの小冊子販売を皮切りに年々スケールアップし、大手出版社からオファーが絶えない状態をつくりあげる執筆力と影響力。
「トップ3%倶楽部」の会員を喜ばせ、20年間にわたってファンを囲い込みつづけるコンテンツ力に発信力、それに講師としての話力。
すべてにおいて見ならうべき人だと思ってきた。

●その石原さんはもう帰ってこない。
こちらの宝もののような二本の動画を観て、定期的に刺激をいただこうと思う。
「武沢さん、動画収録ならいつでも言ってよ。何本でも協力するから」とあの優しい声で言ってもらっていながら、どうしてこの一年、追加オファーをしなかったのか。いくら悔いても悔い足りない。

今夜、一人でこの動画を再生し、石原さんを送り出そうと思う。

1.石原さんとの対談(前編)
【コンサルはオワコン!?】売れっ子コンサルタント石原明 さんと対談した

2.石原さんとの対談(後編)
激白!コンサルタント成功の秘訣】石原明さんが初めて明かしてくれた