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キャンセル文化とカルト

キャンセル文化とカルト

●『ビジョナリー・カンパニー』シリーズは私がお気に入りの本で、特に1作目と2作目が気に入っている。
1作目の本にこんな表現がある。

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ビジョナリー・カンパニーは、その基本理念と高い要求にぴったりと「合う」者にとってだけ、すばらしい職場である。
ビジョナリー・カンパニーで働くと、うまく適応して活躍するか(それ以上にないほど、幸せになるだろう)、病原菌か何かのように追い払われるかのどちらかになる。
その中間はない。
カルトのようだとすら言える。
ビジョナリー・カンパニーは、存在意義、達成すべきことをはっきりさせているので、厳しい基準に合わせようとしなかったり、合わせられない者には、居場所はどこにもない。
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●たしかにその通りだと思う。
私が20代のときに勤めていたスポーツ用品チェーンがまさしくそんな会社だった。
今なら「ブラック」呼ばわりされかねないほど連日ハードワークを皆でやった。
そのエネルギーのまま一気に上場まで突っ走っていったわけだが、振り返ればカルトのようであった。

●当時、出入り業者の印刷会社や電気工事店の人が「お宅さんたち、よく身体がもつね。僕だったら三日でクビだわ」と笑っていた。
体力と向上心がなければ務まらない会社だったが、だからこそ多くの若い社員は思いきり成長することができた。

●そういう会社が今の日本にもっとたくさんあるべきだと思う。
たずらに「ブラック」を連呼することで、社員を腫れ物にでもさわるような無個性な会社ばかりが増えている。
夢があるブラック企業と夢がないホワイト企業、私が若ければ迷わず夢ブラックを取る。
いや、若くなくてもそちらを選ぶ。

●話は変わるが、「カルトのようだと言える」というビジョナリー・カンパニーの一節は今、社会全体にも広がっている。
本来、自由主義の国であるにもかかわらず、まるで言論統制された国であるかのように発言に気をつかう社会現象が目立つ。

●あなたは「キャンセル文化(Cancel Culture)」という言葉をご存知だろうか。
それは、たとえば著名人の過去の発言や行動、SNSでの投稿を掘り出し、前後の文脈や時代背景を無視して問題視し、糾弾する現象のことをいう。
「あいつダメ、もうキャンセル」と全否定してしまうわけだ。

●私がある日のメルマガで「日本の総理大臣は必ず靖国に参拝すべきである」と書いていたとしよう。
それがいつ、どんな状況で書かれたのか、何を目的にそういう主張をしたのかといったことを確認せず、文章の一節だけがコピペされ、ネットで拡散し、私は再起不能レベルまで叩かれるといった現象が「キャンセル文化」だ。

●私は、あわててメルマガを削除するが、覆水盆に返らず。
コピーが無数に出回っている。
私のメルマガは登録キャンセルが相次ぎ、ついに私は仕事も信頼も失ってひっそりと生きることを余儀なくなれる

●キャンセルの対象になるのは芸能人や政治家などの著名人が多いが、ネット社会では、名もない個人も対象になってしまう。
まるで社会全体がカルトと化してしまったようなキャンセル文化が日本だけでなく諸外国の多くでも見られるようになってきた。

●人種差別的な発言やLGBTに対する話題など、デリケートすぎて友だちの前でも気をつかう。
結婚や出産を奨励する発言もハラスメントだ、と言われかねない。
マナーやエチケットは守って当然だが、発言の余波を気にして本音が言えない社会や会社を作ってはいけない

●今日の結論:カルト企業づくり賛成! カルト社会づくり反対!