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意識的に迷子になり、家出する

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たけざわクン物語 出版デビューで凄腕編集者に助けられるの巻

実話ベースマンガの「たけざわクン物語」、今回は出版デビューのお話しです。
「ベストセラー作家になって執筆オファーが次々に舞い込む」という夢があったたけざわクンに2001年のある日、一通のメールが舞い込みました。
それが出版デビューにつながるのですが、話は一筋縄ではいきませんでした。
メルマガを毎日書くことに慣れているはずのたけざわクンですが、本の原稿となるとスラスラ書けなかったのです。
もしこのときの編集者が別の人であれば、話はご破算になっていた可能性があるのです。

意識的に迷子になり、家出する

●「武沢さん、方向オンチですね」と友人に言われた。
自分では結構方向感覚はいけてるつもりだが、上海に行ったときとベネチアに行った時には迷子になりかけた。
「こっちですよ」と道案内してくれる友人がいかなったら本当に迷子になっていただろう。

●だが、後になって思うのだが迷子になっているときの気分はどことなく楽しい。
ワクワクしている。実際にはドキドキしているのだが、言葉さえ通じれば最後は必ず目的地に着くんだ、という安心感があるせいか、旅にあっては迷子もまた楽しい。

●迷子以上に楽しいのが家出かもしれない。

16歳の反抗期に私は家族への抗議で家出をした。
「家を出る」と弟にだけ告げて、大垣駅へむかったのだ。
自分が知る限りもっとも遠い場所へ行こうと、国鉄に乗り神奈川県の叔母さんの家を目ざした。
夜行列車に揺られて目的の駅に着いたのは翌日の午前5時。駅前の成人映画館で時間をつぶし、叔母ちゃんに電話した。

●叔母ちゃんはオロオロしていたが、「ノブちゃん来てるよ」と母に電話したらしい。
「言わないで」と言っておいたのに・・・。
これじゃ単なる親戚の家に遊びにきたようなもので、家出してきた意味がない。
私は叔母の家で一泊させてもらった次の日に「家に戻る」とウソを言って国鉄に乗った。
二度目の家出である。
今度は東北へ向かった。無論、あてはない。
夜行列車だったが、2月の東北は吹雪だった。
横なぐりの雪を見ながら「自分はとんでもないところへ来ている」と自覚した。

●景色をぼんやりながめながら、「自分はこれからどこへ向かっていくのか。どの駅で降りて何をするのか」と考えた。
途中、仙台駅だったか一ノ関駅だったか覚えがないが乗り換えた。
そして平泉駅で降りた。
たしかNHKの大河ドラマで藤原一代の物語があり、この街に黄金の寺「中尊寺」があるはずだ。

●駅前の「ステーションホテル」に着いたのは夕方で、ホテルのテレビでニュース・ステーションがやっていた。
何もかもステーションだな、と思った。
隣の食堂で夕食をとり、次の日は未明に起きて中尊寺まで歩いた。

●16歳の家出なんてたかが知れている。
親戚か友だちの家を経由して少し足を伸ばす程度だ。
だがそれでも人には家出が必要だと思う。
私のそうした考えを子どもに聞かせた記憶はないのだが、長女が20歳になったとき、アメリカまで家出をした。
もう13年経つ。
自分の時よりスケールアップした娘の家出をみて時代の進化を感じた。

●長女は現地のアメリカ人男性と結婚し、子どももできて幸せにやっているようだ。
私も家出したままなので、家出した娘を腹立たしく思ったことはない。
今度は誰が家出するのだろうか。
ひょっとしたら私がまたやらかすかもしれない。
やるべきことをやっているのであれば何ものかに拘束される必要はない。

●なにもかも先がよめてしまったら人生はつまらない。
高齢者の無感動はそこに原因がある。
先が読めない、展開が読めない、だからおもしろい。
もし毎日がつまらなくなったら意識的に(プチ)迷子か(プチ)家出をやらかそう。
誰かに迷惑さえかけなければ、大いに結構なことだと思う。