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口べたパウロが言いたかったこと

●口べたに悩む経営者は多く、それを克服したいと思いつつも現実には何もしていない人が多いように思う。
克服すべき口べたであれば
精々努力して克服せねばならないし、克服する必要がなければ堂々と口べたを続ければよいと思う。

辞書によれば、口べたとは「話すことが不得意で、思うことをうまく人に言えないこと。また、そのさま」とある。
反対語は「口上手」「話し上手」「雄弁」などである。

●たしかに口べたよりは口上手の方が聞く方としてはありがたい。
ストレスなく話の内容が理解できるからだ。
ただ、話し上手になりたいと思うがあまり、話術ばかり上達して中味が乏しい人になってしまうような愚は避けねばならない。

●大したことは言っていないのに話術に長けていれば評価される風潮がある。
エンタメ目的の話芸ならそれでもよいが、ビジネスにおけるスピーチはそうでないはずだ。
ある会合での講演会のこと、私を壇上にいざなう司会者のセリフに当惑したことがある。

「それではただ今から武沢先生の元気がでる力強いお話しを拝聴したいと思います。武沢信行先生、どうぞご登壇ください」

●実にやりにくかった。
弁士が本職ではなく、私は経営改善のための実務家であり、その日も実務家としてお話しするつもりだった。
それが「元気がでる力強い話しをお願いします」と振られると、聴衆もそれを期待してしまう。

●キリスト教発展の礎を作った使徒として名高い「パウロ」は口べただった。
聖書によれば、パウロの単調な話しぶりに退屈した聴衆のひとりが窓から落下して死んでいる。
ユテコという青年だ。
人を退屈死させるほど口べたとは相当なものだ。

●パウロ自身もそれを自覚していたようで、聖書内のコリント書に、それを認めてこう書いている。
・・・
彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない」
・・・

●目の前にあの「パウロ」がいるのに、話の内容ではなく話し方の方に関心がいってしまったのだ。
パウロがそんな人々に言いたかったことは、話し方ではなく行いを見てほしい、実績を見てほしいということだった。
うわべだけで人を見ると失敗するよ、ということである。

●経営者は有能な弁士になろうとしてはならない。
有能な弁士は、自分の弁舌力を盾にも矛にもできるので、実力を高めることや実績を出すことが疎かになりかねない。
自分はスピーチの内容をすべて実践していて、充分な実績を上げているかのように自己陶酔してしまうのだ。

●堀場製作所の創業者・堀場雅夫氏は口べたをよく叱ったそうだが、こんな理由である。
「口べただから怒るのではない。口べたはそれを言い訳にして頭を使っていないから話がへたなことが多いので、その準備不足に怒るのだ」

●口べたを隠れ蓑にして準備も努力もおろそかにするなどもってのほかである。
私たちに必要なのは上手・下手といった技巧の問題ではなく充分な準備をしたか否かを問いたい。
歴代の米国大統領の中でも、屈指のスピーチ上手といわれるウッドローいわく、

1.私に1時間の話をせよと言うなら準備の時間はいらない
2.私に20分の話をせよと言うなら、2時間の準備時間がほしい
3.私に5分の話をせとと言うなら、一日と一晩ほしい

短いスピーチほど準備を要するわけだ。

今日のYouTube動画

話術の奥にあるものを見て・・・口下手パウロが言いたかったこと

口べた・話し下手よりは話し上手、雄弁家の方が良いと思います。
ただし、誤解してならないのは娯楽としての話芸ではなく仕事の話術は、内容第一であるということ。
そして何より雄弁なことは、話し手の行動や実績であるということ。
パウロは聖書にも書かれるほどの口べたで・・・。