最近、都内のある町に引っ越したばかりの友人が祝日に国旗を掲げたら町内会長が尋ねてきて「右翼みたいだから国旗はご遠慮を」と苦情を伝えにきたそうです。
友人はそれを聞いて、「それはあなたの意見か、それとも町内の総意なのか?日本人が祝日に国旗を掲げてどこがいけないのか説明してほしい」と迫ったそうです。
町内会長はおろおろし、「いろんな人がこの町には住んでいますので、そこは穏便にお願いしたい」と言い置いて帰っていったとか。無論、友人は国旗を降ろさなかったそうです。
いつから日本で国旗掲揚までもが苦情対象になったのでしょうか。
世渡りが難しくなっていくことを「世知辛い(せちがらい)」といいますが、日本人が日本に住んでいながら周囲を気づかって国旗を遠慮しなくちゃいけないなんて世知辛いとしか言いようがありません。
東北地方では運動会や収穫を祝う祭りなどの開催合図として、古くから朝の花火が用いられてきたそうです。しかし近年「夜勤明けで眠れない」などの苦情が寄せられ、花火を取り止めにするケースが相次いでいるとか。
今年、仙台の小中学校186校の約半数にあたる90校で花火が中止になりました。メールやLINEなど別な方法で開催告知ができるという判断でしょうが、年に一度の何発かの花火が苦情対象になるとは個人の権利主張はどこまでいくのでしょう。
東京の小金井にある曹洞宗の千手院では、除夜の鐘を5年前から止めたそうです。
その理由は「苦情」などという生やさしいものではなく「訴訟」でした。裁判所で調停が開かれ、出された判決は防音パネル(100万円するそうです)を設置しろということ。
それ以来、除夜の鐘を断念したそうです。
静岡のお寺では、住民の抗議を受けて一時は中止するも鐘を復活させたお寺もあります。
その寺では夜の12時ではなく昼の12時から除夜の鐘を突くそうです。これにより、近隣から苦情も来なくなったし、昼間の方が明るいし寒くないので、今まで足を運び辛かったお年寄りや子供たちも、気軽に寺にきて鐘を突けるようになったそうです。
地域の人が喜んでいるのであれば外野の人間がとやかくいえませんが、大晦日の夜に年越し蕎麦をすすったあとに除夜の鐘が鳴りひびく光景に慣れている者としては複雑な気分です。
国旗にしろ、花火にしろ、鐘にしろ、誰かから苦情が出ればそれをやめるということをやっていけば、そのうち一切のイベントが中止になりかねません。
昨日の日曜日、午後から池間哲郎氏(65)による迫真の講演を聞いて涙しました。延べ100万人の聴講者が泣いた、と講演チラシにあったので「何があっても私は絶対泣かない」と固く決心していたのですが45分持ちませんでした。私たちの祖先が先の戦争でアジアの国々で行ってきた逸話を聞けば聞くほど涙がこぼれてきました。日本兵という職業軍人もいましたが、多くの兵隊はお百姓や会社員、教員、職人、学生などごく普通の良識ある日本人です。
多くの白人が有色人種を蹂躙していくなか、日本兵は現地の人たちを優しく保護しながら戦ったのです。
国粋主義者が語る話ならさっ引いて聞くべきでしょうが、アジアで植民地時代を経験している80歳、90歳の老人を取材して回った池間氏の動画や画像は間違いなく事実です。
アジアのお年寄りが語る日本兵の行いは、池間氏と同年の私でも知らないことばかりでした。
日本という国、日本人の先祖の業績にもっと誇りを持たなければならないし、その根拠たる事実をありのままに知ることが大切なのだと思います。
子どもたちに誇りと勇気を与えねばならない私たち大人が歴史を知らなさすぎる。特に近代史。
敗戦後の徹底した骨抜き教育とプロパガンダによって私たち日本人の多くは、世界でも稀なくらいに自国に誇りをもたない国民になってしまいました。
自虐史観と”謙虚”を通りこした卑屈さのなかに強く生きるエネルギーは生まれません。
池間氏はカメラマンとして世界を回り、特にアジアの貧困地区を重点的に回るうちに「生きる」ということがどういうことなのか深く考えさせられたそうです。
学校にも行けず(行かないのではない。行きたいけど行けない)、家族を守るためにゴミ捨て場を漁る子どもたちから多くのことを学んでこられた池間哲郎氏。
人のため、誰かのためにがんばるのも良いが、池間氏が最後に言われたこのセリフが私の心に刺さりました。
「最も大切な社会貢献、それは自分自身が一生懸命に生きることです」
★池間哲郎氏HP → http://www.okinawa-acs.jp/ikema.html
★昨日の講演会HP
→ https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01axmj10iuw3y.html