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松下幸之助に会える場所

今日から社員旅行で香住へ向かう。この時期、ここのカニが美味いと聞き、訪問を決めた。
名古屋から京都と城崎温泉を経由して香住に入る。
京都で途中下車して紅葉を愛でるプランもあったが、今回は二日目に城崎で外湯巡りする方を選んだ。

京都といえばホームからPHP研究所の本社ビルがみえる。以前に訪問し手厚くお迎えいただいたのがつい昨日のように思えるが、ちょうど10年経った。
松下幸之助さんはご自分の原稿や音声、動画データをしっかり残してこられた。
録音や録画などの製品を扱っていたせいもあるが、コンテンツ意識の高い経営者だったことがわかる。

意外にも奥様のむめのさんも本を書いておられる。
いつも身近にいた奥様ならではの視点で読める『難儀もまた楽し・・・松下幸之助とともに歩んだ私の人生』(1994発行)という本である。

「世間では幸之助を”経営の神様”などと持ちあげてくださるが、妻からみて彼を”神様”と思ったことは一度もありません」とキッパリ。

当然だろう。
夫の評価は往々にして厳しい。昔、なにかで読んだ記憶があるが、西郷隆盛の奥さんは自分の夫が日本を動かすような大仕事をしているとは知らなかったらしい。
まったく知らないはずはないので、たぶん、興味がなかったのだろう。奥様はよく西郷さんに家庭の用事を言いつけていたそうだ。

「ちょっとあなた、庭の生け垣の修理はいつやってくれるの?この前やるって約束したじゃない」
「あ、そうだった。ごめん、今度の休みには必ずやるから」
(武沢空想)

そういった言葉を薩摩弁で交わしていたと想像するとなんだか微笑ましい。

松下幸之助の奥様・むめのさんは専業主婦だった。
夫が世間でどのように評価されているかに関係なく、家庭の中では夫にきちんとしていて欲しいもの。
「神様と思ったことは一度もない」と言いながらもこんなことも書いておられる。
「ただ、いつも感心していたのは、夫の計画力のすごさです」

奥様も脱帽したという幸之助の計画力が今日のパナソニックの礎になっているわけだ。
10年前、PHPの取締役だった清水卓智(しみずたかとし)氏は現在同社の社長になられた。
当時、こんな話を聞かせてくださったことを思い出す。
清水氏が松下電器に入社したころ、幸之助さんは新人たちに次のような訓話をされた。
「仕事は知識でやるもんやない。知恵でやるもんや。知恵とは知識×想いである。君たちの知識は私の二倍はあるだろう。だけど、想いはぼくのほうが四倍はあるから、君たちに負けへん」

幸之助が語る「想い」とは、目標や計画に対する思い入れの深さと熱さではないだろうか。そこから知恵が生まれるのだ。
私たちも、一回読んであとは見ないような目標や計画をつくるのではなく、何度も何度もそれを見て、思いを深めていくような作業が大切だ。

奥様も舌を巻く幸之助の計画力、その一端を直接見たければ「松下幸之助歴史館」に足を運ぶにかぎる。
京阪本線「西三荘」駅から徒歩2分にある。創業時から並外れた構想と計画をもっていた松下幸之助は、「神様」になるべくしてなったと感じるかもしれない。いずれにしろ、ここほど幸之助をじかに感じられる場所はない。

★松下幸之助歴史館
https://ganbare.biz/comon/ydkg