その他

太宰は文豪とはいえない!?

学生のころは文学部に所属し、文学作品ばかり読みふけっていたというN社長(45歳、男性)。
特に『檸檬』(れもん、梶井基次郎)は何十回読んだか分からないほど大好きだとおっしゃる。
私の書棚にもあったはずだが未読だったので、氏とおわかれした足で本屋に直行し、買い求めた。
すぐに読んでみたが、どこが面白いのかわからない。今度お会いした時におもしろい理由を尋ねてみたいほどだが、本に限らず嗜好品にはこういった相性問題がつきまとう。読むときの状況や精神状態によっても大きく変わる。

他人の評価はアテにならないと分かっているのだが、本でも映画でもレストランでもまず星の数(他人評価)を見るようになってしまった。
なかには当社のスタッフのように「気になる作品は自分が直接確かめるまでの間は、他人評価は一切見ない」と決めている人もいる。
だが、それを貫くのはむずかしいようだ。一方的に外部から情報が入ってきてしまうのだ。今朝も私が「今度のスターウォーズの新作は、評価がめちゃくちゃ高いね」と言ってしまったものだから、不機嫌そうにしていた。

あてにしてはならないが参考にはなるのが他人評価。
「読書が趣味」という人に会うと、すぐに面白かった作品を尋ねるようにしている。できればライトノベルやミステリーなどの娯楽作ではなく、文芸書やノンフィクション、専門書などをあげてくれる読書友だちが欲しい。真の読書友だち、略して「書友」(しょゆう)の数は少なく、とても貴重な存在だ。

先だって「ボクの血には谷崎と太宰の息吹が流れている」というE社長(60歳、男性)とお会いした。
文豪といわれている人たちの作品は全部読んだと豪語するだけあって何を質問しても即答で返してくれる。ただ、E氏が戸惑った質問がこれだ。
「小説家と文豪の違いは何?」

「う~ん」と腕組みしたまま30秒ほど沈黙するE氏。私は追い打ちの質問を浴びせた。
「ちなみに谷崎と太宰は文豪ですか?」

やがて口を開いたE氏はこう言った。
・・・実に興味深い質問です。あきらかに谷崎潤一郎は文豪ですが、太宰治は文豪ではない。私が定義する文豪はまず作品のクオリティが高く、時代を超えて読者の心を打ち、読み手の人生に影響を与える人をいう。また、私生活においても常人離れしたところがあり、その生活スタイルにおいても人々に夢を与えるものがある人を文豪という。
その点で谷崎は文句なしだが、太宰は作品のみの人だった。
・・・

ずいぶん以前にも文豪問題に関心をもったことがある。著名な小説家の私生活ぶりなどを調べたことがある。
まず文豪とは作品のジャンルが「文学」であること。娯楽小説は文学には含まれないので娯楽作を書く大衆小説家は「文豪」の資格がない。
そういう点で、司馬遼太郎も吉川英治も宮部みゆきも東野圭吾もこの段階で除外されてしまう。

夏目漱石はどうか。作品は申し分ないが、私生活が小市民的であり夏目も除外される。同じ理由で森鴎外も弾かれる。幸田露伴にいたっては生活が質素そのものでまったく常人離れしていないので失格だ。
永井荷風も大金持ちだった割には気が小さくて生き様に骨がなかった。

文豪といえる人は谷崎だけなの?
結論はでないまま去りぎわにE氏が谷崎と太宰のおすすめ作品を教えてくれた。太宰に関してはまったく意外な作品だった。タイトルすら知らなかった私だが、読んで面白ければここでご紹介することがあるかもしれない。
ただ私にとっての『檸檬』みたく、相性問題がつきまとうことはお忘れなく。